Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

敗走

東京都議選は、自民党23議席という衝撃の大敗となった。
過去の民主党旋風が吹き荒れたときでえすら、38議席あった。
それが23である。57議席あったのに、半減という大惨敗となり、下村都連会長を筆頭に都連役員は全員辞表提出という結末になった。

とはいえ、現場からすれば、これはとんでもない話であった。なぜなら、逆風は国政から吹いたからである。
おかげで、自民党の候補者は、自分とは関係ない国会の話で足下をすくわれた。党中央に対する恨みは大きい。

まず、戦前であるが、自民党は優勢に戦いを進めていたはずである。小池知事に対する「決められない知事」攻撃は、かなりのダメージを与えるのに成功していた。
自民党は、国会で共謀罪を通すために委員会採決をとばして、中間報告のみで採決し、国会延長をせずに閉会。これが、まず「つまずき」の第一歩であった。世間からは「加計隠し」と見えたからだ。
共謀罪の成立は必要であったが、それなら堂々と委員会採決を行って、その上で国会延長して採決すれば良かったのである。それだけであれば、小幅延長で済んだはずだ。
横綱のくせに蹴手繰りで勝った」ので、品格に欠けると見られたであろう。

さらに品格に問題があったのが豊田議員の暴言である。これで決定的だった。ワイドショーに格好の話題を提供してしまい「ダーティイメージ」に拍車をかけてしまった。
選挙の空中戦は「イメージ」の勝負である。自民都連は、内田都議以来の「ダーティ」イメージを決定づけてしまった。

稲田大臣の(いつもの)失言でクビの皮一枚で踏ん張っていた自民戦線は崩壊した。激戦区の板橋で、後ろからタマを撃つに等しい愚行であった。
一人区は言うに及ばず、二人区において一人を犠牲にして、なんとか退路を造ろうとするのが終盤の自民党の戦いとなったが、そこに下村都連会長の闇献金疑惑で万事休す。
なんとか踏みとどまっていた二人区の議員も、崩壊する戦線を支えきることができず、敗走。
かくして、自民戦線は壊滅した。

小池陣営は、驚く無かれ小池知事は連日102回(!)の演説をこなし、ほぼ全選挙区を回った。おそるべき体力、気力である。小池陣営には、小池氏が一人しかいないからである。鬼神の働きといってよい。
唯一、悪天候のために島部にだけ行くことがかなわなかった。
ここに投票3日前のせっぱ詰まった状態で応援に入ったのが自民の石破氏だが、おかげで都民ファーストの「完封勝利」だけは逃れた。石破氏の戦略眼は見直されてよい。
自民支持者は石破氏を悪くいうが、実際に県連、都連で石破氏が人気が高いのは、こういう厳しいときに自分の子分でもないところに応援に来るからである。
自民党の政治は、情と恩で半分は出来ている。そこが自民党の特色なのだ。イデオロギーだけで判断するものではない。
崩れたつ戦線で気を吐いたのは石破、小泉、二階、菅の各氏だったと思うが、多勢に無勢だったといえる。

私の戦前の予想では、決められない都知事と、強引な国会運営をしてしまった与党で、ガチンコの五分の戦いであろうと考えていた。決して、小池氏のみが優勢とは見えなかった。
そういう意味で「川中島の戦い」のようであろう、と書いたのだが、大ハズレであった。面目ない。

この選挙をたとえるならば、同じ「小池謙信」相手でも「手取川の戦い」であろう。
圧倒的に優勢なはずの織田自民軍が、主力を投入しながら、情勢判断のまずさと戦線の不統一によって、手ひどく敗れ去った戦いである。

「小池謙信」は、今やまさに、選挙においては日本最強であろう。
文字通り、神懸かり的な強さで、もはや毘沙門天の生まれ変わりのレベルに到達した。
ただし、足下の都政をおざなりにして、国政に進出することは難しい。
本人も、よく分かっているはずである。

かの上杉謙信と同じく、小池謙信もまた、上洛し天下をとる実力はありながら、あとはそれを許せるタイミングまで、その命脈が持つかどうかになってきた。
小池氏は現在64歳。無敵の名将も、年齢には勝てない。
都知事の激務がこれから待っている。

おそらく、我々が小池氏の「天下取り」の上洛をみることはなさそうだ、と思うのですなあ。
残念ですが、ここまでではないか、と。

自民党は、今こそ戦力再整備のときである。
私は、決して安倍一強と呼ばれる状況が良いとは思っていない。
党内に、人材はあまたいる。小池氏も、そのひとりだった。ただ、安倍総理が起用しなかっただけである。
そこを、よ~~く反省して、党勢の再生をしてもらいたいと願う次第ですなあ。