Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

純粋な社会主義の理想---ポルポトについて

社会主義思想は、いまだに資本主義に対する批判として有力である、という言説は珍しくない。だけど、私は、この説には異議申し立てをする。
ポルポトは理想か?」そして、もしもポルポトが批判されるなら、それは何故であるのか?
(参考)
http://cruel.org/onebook/polpotasahi.html

ポルポトの成立については、ベトナム戦争遂行のためにアメリカがつくった傀儡政権、ロンノルからの「解放軍」がスタートであった。社会主義政権の定番「反米解放政権」である。支援は中共であった。

ポルポトは、政権を掌握し、ただちに「純粋な社会主義」実現のための施策を次々と打ち出した。
まず、多くの都市民を農村に移住させた。(下放)都市自体が、当然に資本主義的な収奪の上に成立するものである。
次に、貨幣を廃止した。貨幣こそ、間違いなく搾取のためのシステムであろう。交換は、すべて物々交換となった。私有財産はすべて没収、私有財産そのものを無くしたことは言うまでもない。
知識階級はすべて殺した。「すぐれた能力を持つ者」は、社会が公平にしても労働者階級を搾取するから
存在してはならない。ついでに、教育制度もすべて破壊した。人民は、労働からこそ学ぶべきであり、学校制度こそが植民地化の装置であるからだ。
宗教はすべて禁止し、多くの寺院、宗教施設を破壊した。唯物論からすれば当然の措置である。
電話、電報、郵便、ラジオ等、バス、鉄道、飛行機を廃止した。「移動」こそが資本主義の本質であるとポルポトは看破していたのである。
家族制度も廃止し、5歳以上の子どもは国家で共有して育てることにした。
自由恋愛も禁止した。異性獲得の「自由競争」は社会の敵である。配偶者は、国家が偶然決めた相手であり、拒否することは許されない。

こうして、人民はすべて「平等に」なった。

経済活動はすべて破壊され、国中に餓死者があふれた。これら全ての困窮は「アメリカ帝国主義と、その手先のCIA」の仕業であるから、反革命勢力を駆逐しなければならない。よって、国中で密告が盛んに行われた。親戚や親兄弟を密告すれば、よけい賞賛された。前近代的な家族制度にとらわれない、自由で革命的な価値観に基づいて行われる行為だからであった。

ポルポトを支援していたのは毛沢東であり、ポルポトのとったこれらの政策が毛沢東の理想とする「純粋な社会主義」の実験であった。中共毛沢東に関する総括「功績八分誤り二分」のなかの「誤り」に、カンボジアはカウントされていないだろう。公式には、中共は、毛沢東の関与をいまだ認めてはいない。

この「社会主義の理想」をそのまま実現した国に関して、日本でも本多勝一をはじめ、多くの知識人・文化人が称揚したものである。

当時のカンボジアの人口約1千万人。餓死者及び虐殺された者の数は、1/3にあたる300万人とも言われる。1975年から1978年の3年間の間だけの話である。

ポルポトが行った政策が、より純粋な社会主義の理想を体現していたことは、もはや言うには及ぶまい。
自然科学では
「ある仮説を立てる」
「仮説に基づいた検証(実験)を行う」
「その結果が仮説通りであれば、仮説の正しさが証明された」
とする。当たり前のことである。
検証実験には失敗したが、仮説は正しい、という主張はない。それを言えば「科学」ではないからである。

もしも、いまだ社会主義が有効だと主張するならば、私の結論はただ一つしか思いつかない。
社会主義とは科学ではない」論理の必然である。

現在の経済システムが多くの問題をはらんでいることは事実だが、その問題解決の視点について考えるとき、私がマルクスをとらないのは、現代の人間としてごく当たり前な話である。
資本主義への批判をする人たちが、社会主義(いや、共産主義)を持ち出すとき、その処方箋がもたらした結果に対してあまりに無自覚ではないかと、私は思う。彼らが「自己批判」することはない。
それは、畢竟「自分だけはカヤの外」という目に見えぬ意識の産物ではあるまいか。
私は、かの天才小谷美紗子の名曲「自分」の一節を思い出す。「言うだけなら、私にもできる」

おそらく、何か別の、もっと違うなにかが必要なのだ。なにか、異なる原理のものだろうと思う。そういうものが、なんとなく、もうしばらくするとあらわれるような気がしているのである。
毎日「競争」に浮き身をやつすのが私の仕事なんだけどね。。。