Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

もう年はとれない

「もう年はとれない」ダニエル・フリードマン


主人公は元殺人課刑事のバック・シャッツ。御年87歳で、自宅で婆さんと二人で暮らしている。
そこに、かつての戦友の最後の面会をしてほしいとの依頼があり、どうせ葬式で顔を会わせるのにと悪態をつきながら出かける。
すると、戦友は「実はナチス将校を、金の延べ棒をもらって見逃した」と告白する。
シャッツはユダヤ人で、戦争のときにはナチスに捕虜にされて随分と歓迎されたので、この告白に怒る。
ユダヤ人将校は、クルマのトランクが下がるくらいの金の延べ棒を持っていたらしい。
シャッツは、ユダヤ人将校を探すことにするが、かいもく見当がつかない。
もとの職場に相談に訪れるが、適当にあしらわれて返されてしまう。
一方、戦友の娘婿は、自分にも分前があるはずだとごねてくる。

そうするうちに、シャッツの孫が宝探しに参加する。
孫は、シャッツの知らないインターネットのちからを借りて、ユダヤ人将校がアメリカに逃亡してきているらしいと探り出す。
二人は養老院で余生をおくる将校をついに見つけ出すが、高齢のためすっかりボケていて、会話が成立しない。
しかし、金の延べ棒を手放すはずがないと読んだ二人は、部屋の中で貸し金庫の鍵を発見する。
銀行で、善良でかつ半分ボケている老人と、その介護役を演じた二人は、まんまと延べ棒をせしめる。
その頃、戦友の葬儀を行った牧師が何者かによって殺された。
さらに、孫が仲良くなったイスラエル人の元女性兵士も殺されてしまう。
殺人の手口はそっくりだった。
孫は、当時のアリバイがなかったことから、連続殺人の被疑者にされてしまう。
シャッツは、孫を救うために、金の延べ棒を諦める決心をするのだが。。。


このミスの翻訳小説部門で1位をとった作品らしい。
なにしろ87歳の主人公というのは前代未聞で、それだけで新しい。
しかし、逆に言えば、そのアイディア一発に寄りかかっているような気もする。
この主人公が普通の壮年だったら、ここまで激賞される作品ではあるまいなあ。
評価は☆というところ。


年をとっても、若いものに負けずに頑張っている、という話が私はきらいである。
サミュエル・ウルマンの「青春」という詩も大嫌いである。
青春は心の持ちようだというのだが、嘘に決まっている。若くなくて青春もくそもあるもんか。
若いということは、いろんなことが、あんなことやそんなことまで、あるものである(笑)
年をとれば、そうはいかん。
だいたい「死ぬまで恋愛」とか、アホではないだろうか。
かつて、金妻ブームというのがあった。結婚した後も恋愛だというのであった。ようは、不倫礼賛であった。ばかばかしかった。
そんなものは、若いものに任せておけばよいのである。
いつまで色ボケしているんだろうか、と思うのである。
青春とは、色ボケである。
若いときに、おおいにやるべし。
年取ったらみっともない、いい加減にしろと思うのですな。
ほかにやることあるでしょう。

それが思いつかないとしたら、その人生そのものを考えたほうがいいってことじゃないかねえ。