再び猛威をふるいはじめた新型コロナ。
北海道の感染者は本日ついに300を超えたようだし、東京も連日の500超え。
あとは、いつまで医療が持ちこたえられるかの問題である。
重症は言うに及ばず、中等症でも人工呼吸器が必要なのだが、これらは感染者の中で確率的に発生する。
このペースだと、単に時間の問題であると、誰でもわかる理屈である。
その感染だが、今や「夜の街」ではなくて、家庭内感染が最も多いそうで、家庭内の食事もソーシャルディスタンス?という話になっている。
バカバカしい以前に、ごまかしである。
理由は単純だ。
家庭内にウィルスが自然発生するわけがない。誰かが、外からもらってきた。
しかし、それがどこか、もう分からなくなっている。市中感染しているからだ。夜の街に限らず、どこで触ったか、誰と会話したか、とにかくどこからかもらっている。
市中感染に至れば、もう活動制限するしかないことは自明である。
しかし、日本は経済活動を止めたくないので「クラスターを対策すれば大丈夫」で進んできた。夜の街がクラスターなんだから、夜の街を止めればいい。
しかし、市中感染だと、クラスターは無数だ。
仕方がないから「家庭がクラスターだ」となる。
家庭がクラスターなのは、市中感染の「結果」だ。原因じゃない。
家庭内感染に対する対策なんてのは、市中感染にむりやり「クラスターつぶし」のロジックを当てはめるから起こる、悲劇(喜劇か)である。
あほくさい。
誰が家族と飯を食うときに、黙ってマスクして食うもんか。葬式だって、そこまでやらないだろう。
無責任な政治が責任を丸投げすると、こんな話になる。