本日のニュースで、夕張メロンが外国人技能実習生が入国できないために8万玉の減産というのがあった。
外国人技能実習生については、さきに読んだ「限界国家」でも取り上げられていたが、技能実習という名目なので賃金は格安(実習なので労働ではないという建前)であり、現代の奴隷制度ではないかという批判がある。なにしろ技能実習であるので、転職の自由もないわけで、そこで実習が終わるまでずっと働く、おっといけね実習するしかないわけである。
で、その実習生がいないとメロンができない。
なんだか、モヤモヤしませんか?
何がモヤモヤするかというと、外国人がいないと作れない夕張メロンが「国産高級フルーツ」であること、である。
たしかに、日本の国土で生産された。けれども、その農作物を日本人では作ることができなくなっていて、外国人が実際には作っているわけである。
逆に、日本のお百姓さんがアメリカに行って、米を作る。
土はアメリカだけど、作っているのは紛れもない日本人だ。で、その米が「輸入米」である。
まあ、どこの土地で出来たかで「○○産」が決まるわけで、そういうことになるのだが。
しかし、日本人が作れない「国産」日本人が作った「外国産」があるわけだ。
そして、日本でベトナム人が作った「日本産高級メロン」がベトナムで、ものすごく高額で売られたりするわけだ。
アメリカで日本人が作った米は、輸入米なので、それがコシヒカリであろうとも日本には簡単に輸入できない。
同じことは、農作物に限らず、ほかの産業の製品にだって起こり得るし、知らないうちに起こっている可能性が高い。
国産なら安心だ。そんな国産信仰が私にはあったんだけど。
なんだか、大いにそんな信仰が揺らいでしまう話なのだ。
グローバル化を批判するのは結構だけど、現実は、すでにもう訳がわからないレベルに来ていると思うし、経済ってそういうものだとも思う次第ですなあ。