本日、シン・エヴァンゲリオンがアマゾンプライムで公開。コロナ禍で、映画館に二の足を踏んでいたので、ようやく見ることができた。
ついでに、一昨日から新劇場版「序破Q」も一気に見た。
感想をいえば、序破急でなく起承転結の4部作として、とてもよくできた映画と思う。
シン・エヴァでは、広げまくった風呂敷を、登場キャラクターたちの救済という形で収束していったのは良かった。
私は、いわゆる旧劇も見たのだが、テーマは同じだと思った。「現実に帰れ、仕事しろ」である。旧劇を渋谷で一人で見て、その帰りの歩道橋の上で、とにかく働こうと思ったことを覚えている。
TV版が公開されたときが25年前。
私は、転職した会社でなんとか実績を出そうともがいていた時期であった。その会社が後に上場することになるのだが、そのときは、それどころではなかった。
川口市のライオンズマンションのだだっ広い2LDKの、一番狭い玄関先の部屋で、小さな14型のテレビで見ていた。
だだっ広いのは、一緒に住んでいた彼女が出ていったからだった。長い家庭内別居の期間が過ぎていた。
エヴァの中では、劇中で14年間の歳月が流れている。主人公のシンジは、周囲が大人になっているのに戸惑う。大人の世界は厳しいのだ。
その厳しさに打ちのめされて、それでも、前を向く。それが大人になることだった。
今では、それがよくわかる。
ついでに言えば。
ヒロインのアスカは、14年の間に大きな成長を遂げていたクラスメイトのケンスケに居場所を見つけるようだ。
ずばり、私はケンスケは、この25年間の間に成長を遂げていた元オタクのファンのシンボルではないかと思うのである。
ケンスケのキャラクターは、人が良くてミリタリー好き、カメラ好きで、同じクラスメイトのトウジのように中心にいるキャラクターではない。これは、オタクそのものではないか(14年前あるいは25年前の)と思うのだ。
そんなオタクが、やがて社会に出て、ちょっと変わった場所ではあるかもしれないが(村外れに住んでいる)ちゃんと居場所を見つけて貢献している。
これは、社会にでて成長した元オタクたちのことじゃないかな。
で、庵野監督は、彼らオタクにこそ、アスカがふさわしいだろうと言っているのではないかと思う。
はっきり言えば、それらオタクも、今では大多数が家庭を持って、良き父であり社会人であろうと頑張っている。それでも、エヴァを見に来てくれた。
旧劇では、ファン連中に「気持ち悪い」さっさと社会にでて働け、といった。
シン・エヴァでは、お互い頑張ろうな、と言っている。アスカは、ここまで付き合ってきたファンのものでいいだろう、あるいは、そのファンたちが、かつて憧れたクラスの上位カーストのお姫様でいいのかもしれない。
実際に、お姫様と結ばれることは少ない。
なんとか付き合ったとして、どんなに真剣に向き合ったつもりでも、家庭内別居を2年以上やって、分かれることになったりする。社会は厳しい。
25年の歳月を経て、シン・エヴァを見てよかったと思った。