9ヶ月間もほぼ聞こえなく慢性化してしまった突発性難聴を治そうとヒーリングを受けているのですが、おかげで日常会話レベルでは不自由ないレベルに復帰した。
ありがたいことである。
その副産物というか、妙なことに、子供のときのことなど忘れていたことをはっきりと思い出せるようになった。
思い出したのは、幽体離脱したことである。
小学校5年生の秋だったと思う。
就寝しようとしてウトウトしたとき(すでに部屋は消灯していた)「このまま起きたらどうなるか」と突然思いついた。
で、就寝前のウトウトふわふわのまま、いきなりガバと起き上がってみたのである。
そのとき、スイッと妙な感覚がして、私は肉体から「抜け出た」。
私は起き上がったが、寝ている私の肉体は別にあった。自分が寝ているのを見るのは妙だった。部屋の中はいつもと変わらぬ風景に見えた。
「この身体はどうなっているのだろう」と疑問に感じた私は、自分の指を引っ張ってみた。すると、かくん、という感覚がして指がそのまますーっと伸びた。
慌てて元通りに縮めたら、そのままもとの大きさになった。
あまりの事態に薄気味が悪くなり、同時におそろしくなった。
なんとかもとに戻りたい、と願って、寝ている自分の身体に重なるように寝転び、そのままもう一度眠った。
朝起きたら、元通りにだったのでほっとしたのである。
それから1週間くらいは、眠ろうと横になるたびに自分が抜け出ようとしてしまうのがわかり、まともに寝るのに少し苦労した。
大人になるにつれて、受験や異性などのことのほうが重大になるので、このようなことはすっかり忘れていく。
仕事をし始めたら、もう思い出さない。仕事や金儲けのほうが関心事である。
それが、還暦前にこんなきっかけで思い出したのだから奇妙な話である。
ヒーリングの先生は、それも「導き」なのだとおっしゃる。意味があるらしい。
先生には、今さら還暦前に面倒な話はごめんだし、それよりも余生を安楽に過ごせるように神様にお願いしたいというと、笑われてしまいました。
まあ、でも、本心ですがね。
この手の話は、すぐに「信じる、信じない」という話になりがちであるが、私はそれが違うと思うのである。「ある」か「ない」か、だろうと思う。
自分が見たり体験した部分は信じるではなくて、あるんだからしょうがない。
しかし、ないものを「ある」と信じるのはおかしなものである。
神仏もそうであって、実は神仏を感じることはあるので(あ、来たな、、、みたいな感じ)これは仕方がない。でも、そうでない人は信じないと思うし、それが当たり前である。
量子力学以前には、この世の物理的世界は「誰にとっても真実は一つ」であった。
量子力学以後の世界では、観測者によって対象が影響を受けることがわかっている。誰も観測しない「真実」の存在は曖昧になり、観測と真実は表裏一体となった。
次は「観測者ごとに異なる真実」が発見されるであろうと思っている。
相対論は「観測者の立場によって」異なる世界を描き出すのに成功した。
量子力学と相対論の統一はいまだ成し遂げられていないが、おそらく、観測者ごとに異なる世界が回答になるのではなかろうかと思っている。