Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

風立ちぬ

風立ちぬ堀辰雄

 

私達の世代で「風立ちぬ」といえば松田聖子の楽曲であり、しばらく時代が下ると宮崎駿監督の名アニメである。その宮崎監督は「最近のやつは全く勉強していない!」といって怒っていたそうだ。アニメ「風立ちぬ」のタイトルの意味をファンに聞かれて「は!?」となったときの話だそうである。風立ちぬといえば、そりゃ堀辰雄であって、しかも「風立ちぬ いざ生きめやも」と続くのだから「生きろ!」がテーマで、このへんは「もののけ姫」と同じ主題ということになるのだ。そんなことも知らんのか、お前らマトモに本を読んでいないのか、と怒ったわけだ。

ところが、そんなことを言っている私自身が、まともにこの名作を読んでいなかった。宮崎監督に怒られる「勉強していない奴」なのだ。さらに、こっちはもう若くもないのだ。若くなくて勉強していないやつ。どう考えても最低である。最低なのは今更仕方がないかもしれないが、最低から二番目にはなりたいと思い、雨の日曜日にこの名作を読む。

 

話自体は淡々としたもの。主人公と結婚の約束をしている節子は、結核を患い、高原のサナトリウムで療養することになる。節子の父は、そんな寂しいところで節子がやっていけるのかと心配するが、主人公も一緒に行くというので安心して、サナトリウムでの療養が始まる。

入所時の診察で、節子の病状は予想よりもかなり重いらしいことがわかる。入所者の中では2番めに悪いという。

節子と主人公は、変化に乏しいサナトリウムの中で、ただじっと一緒に時を過ごす。はたから見れば困難な局面だが、実は二人の気持ちは幸福であった。しかし、彼女の病状は徐々に進んでいく。やがて、ある晩、入所者の中で一番悪いと言われていた人が亡くなった。節子は気分の良いときは、主人公と一緒に近所を散歩したりするが、やがて喀血がはじまり、それもできなくなっていく。

終章にいたり、節子は亡くなっており、主人公は山間の小屋で、一人で仕事(執筆)に向き合っている。誰もいない小屋で一人で過ごす強さを、節子から与えてもらったと主人公は思うのであった。

 

 

文章がとにかくきれいで、まるで玻璃のように透明な感じがする。私小説であろうが、赤裸々に己を書くという流儀とは異なる。綺麗で澄み切ったところだけを描ききった作品だと思う。たしかに、これは無二だろうと思う。

名作ゆえ、あえて評価には及ばず、ただ納得する。

 

さて、ここから、実はこっそりアニメ勢の私なりの蛇足である。

この小説を頭にいれて宮崎アニメの「風立ちぬ」を見ると、どこが改変されているかが否応なく分かる。すると、その改変された部分が、宮崎監督のオリジナリティ、つまり監督自身の描きたかった「私小説」であろうとわかるわけだ。

たとえば、主人公が飛行機設計者という「技術者」であること、ヒロインの菜穂子がサナトリウムを抜け出して主人公と結婚すること(つまり、契を交わすこと)、主人公が仕事中は、隣で寝ている菜穂子の身体を全然気遣わないこと(彼は仕事についてはとんでもない自己中であり、集中力を出すために結核の妻の隣で平然とタバコを吸う描写がある)、それを菜穂子がよしとしていることなど。

ああ、そうだったのか、と思う。これは、宮崎監督自身なのだなあと。

宮崎アニメの最高峰は「風立ちぬ」であり、日本アニメの最高峰でもあると思う。しかし、若い人には少し難しいのかもしれない、かなあ。