Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

サピエンス全史(上)

サピエンス全史(上)ユヴァル・ノア・ハラリ。

 

この週末は台風の影響で、ずっと今一つの天候だった。そこで自転車趣味はそこそこにして、読書タイムにした。

しばらく前に入手していた本書をゆっくりと読んだ。ずいぶん話題になった本だが、未読だった。(いわゆる積ん読だった)

 

本書の大きなテーマは「なぜ人類がこれだけ地球にはびこったか?(笑)」というものである。それを、歴史学者かつ哲学者である著者が、人類史を遡って解説していくというわけで、地球規模の人類の俯瞰史である。

 

今の人類は新人つまりクロマニヨン人の直接の子孫であるのだが、それ以前に旧人ネアンデルタール人)などがいた。私達の子供の頃は、最初に猿人(アウストラロピテクス)が現れて、以後、北京原人ジャワ原人ネアンデルタール人が現れて(つまりは、交代して)やがて新人(クロマニヨン人)が現れて現在に至る、となっていた。

ところが、今ではネアンデルタール人もデニソワ人も、同じ時代にクロマニヨン人とともに生きていたことがわかっている。つまり、旧人が滅びて新人が出現したのではなくて、並行していたわけだ。つまりは、新人は旧人に生存競争で勝った。じゃあ、どうやって勝ったのか?実際には戦争をして滅ぼしたのではないか、という疑いもあるのだが、現代人のDNAの中にわずかな比率だがネアンデルタール人由来のものがあることがわかって混交していたことが決定的になり、しかし、完全に融合というのは比率上ありえなくて、少しは混血しながら実際には生存圏の拡大のかたちで旧人を押しやっていったのだろうと考えられるようになったようだ。平たくいえば、新人のほうが生活力がたくましかった。では、それはなぜか?

かつての「道具の使用」や「火の使用」説は、ネアンデルタール人も火を使っていたことが明らかになって否定されており、決定的な違いは「虚構を信じる能力」であろう、ということになったようだ。

たとえば、宗教は虚構である。そして、政治も虚構である。憲法9条や民主主義を見ればわかるが、本質的には宗教と同じく、現実的な存在ではない。

そればかりか、貨幣制度も虚構で、経済も虚構である。お金というが、即物的には紙幣は紙である。

つまり、新人は虚構を共同して信じることで、集団としての統制をとることが可能になった。他の動物でも言葉を使うが、このような虚構を信じることはない。

人類的にいえば一人のリーダーが把握できる数はせいぜい50人から150人であり、それ以上の集団を率いることはできない。ところが、宗教とか国とかいう虚構を信じることで、新人はそれより遥かに巨大な数の集団を動かすことができる。それが、新人が旧人に勝った要因であろう、というのである。

そう考えると、その後の人類の政治や文化の歴史は、いかに虚構をみなで共有していったか?というストーリーとして見えるというわけだ。

 

なかなかページ数が多いが、書いてあることは割合平明で、そんなに理解に苦しむ場面はない。人類の成功の鍵が「虚構」にあったという指摘はかなり斬新で、なるほどなと思う。一方で、今や「科学」という実証可能な学問分野が新たな「神」になっている現実があり、やがてそれはAIという形で我々の生活を支配するはずである。

あまりに大部の本なので、まだ上巻しか読んでいないのだが、下巻でそのあたりの言及があるだろうか。続きが気になるので、やっぱり読んでみるしかないだろうなあ。

 

「虚構」というのは、わかりやすくいえば「嘘」である。嘘つきはよろしくない、というのが世間の常識なわけだが、そもそも民主主義だって虚構だし、人権だって虚構である。虚構であっても「あることにした」ら、うまく世の中は進むので、そういうことにした。そう考えると、究極のプラグマティズムは「うまく嘘をつくこと」みんなが信じたくなるような嘘を考えたやつが、この世では勝ちということなのである。

しかし、現在の学校教育では「うまい嘘をつくように」とは教えない。すでにある嘘を信じるように、という指導はなされるが、新しい嘘をつくれとは言われないのである。

このあたり、実は日本の経済が再浮上するための鍵を握っているようにも思うのだけどなあ。