Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

翻弄ー盛親と秀忠

「翻弄ー盛親と秀忠」上田秀人。

 

歯科医のかたわら、めちゃくちゃに面白い歴史小説を執筆している著者である。これからは、出版専業で食っていく作家は減ってくるのではないかと思う。二足のわらじ、マルチクリエイター、そういう人が増えてくるのではないか。ま、そんなことを思いながら、この本を読んだ。

 

ダブル主人公で、長宗我部盛親徳川秀忠である。この二人には共通点があって「関ケ原で、何もなすすべ無く終わった人」である、ということなのだ。

冒頭で長宗我部盛親関ケ原の戦いで、これが初陣であった。吉川広家の後詰めを任され、前の吉川勢が動かないので「これだけの大軍だ、いくさは長引くだろう」などとのんきに構えていたら、突然「お味方、敗北して総崩れ」の知らせである。なんとか手勢をまとめて、土佐に帰るだけで精一杯である。

土佐に帰国した盛親は「関ケ原では一発の玉も打っておらず、何もしていない」ので、なんとか家の存続は許されるのではないかと期待を持ち、井伊直政に働きかける。その一方で、お家争いに敗れて隠居していた兄の親和を、自分に代わって太守になるかもしれないという家臣の讒言を受けて誅殺してしまう。これが家康の怒りを買うことになる。こうして、まったく関ケ原で戦っていないにも関わらず、長宗我部家は取り潰しになる。

 

徳川秀忠は上田の真田攻めで真田昌幸に翻弄され、決戦に間に合わなかった。一方、弟の忠吉は一番乗りを果たし、島津豊久を打ち取るという大功を挙げる。家中では「忠吉こそ後継者にふさわしい」という声も出始める。このため、秀忠はいつ廃嫡されるかと怯えながら、家康の顔色を伺う日々となる。しかし、そんな秀忠に対して、家康は「忠吉では家臣の居場所がなくなる」といって、秀忠を後継の座に据えたままにする。関ケ原に遅参した家臣は、秀忠についていた多数にのぼる。もしも、忠吉を後継者にしてしまうと、遅参組の家臣たちはずっとそれを言われ続けることなる。家臣に居場所のないような政策をとるべきでない、と家康は言う。つまりは、秀忠は凡才であるがゆえに、後継の座にとどまることができたのだった。

 

そうするうちに、豊臣と徳川の間は緊張が増していく。ついに、大阪の役が起こる。秀忠は、関ケ原の汚名を晴らすために、大阪に向かう。一方の盛親は、京都を抜け出し、呼応する部下を集めて大阪城にこもる。乾坤一擲、土佐の国を取り戻すための戦いをすると決めたのである。

かくして、二人は大阪で激突することになる。。。

 

読みながら「なるほど」と思った。関ケ原、つまりは「肝心要のところで、全然活躍できなかった人」という共通点をおいて、対象的な人生を歩むことになった二人の人生を描く、という趣向。これは面白い。

評価は☆☆。

 

人生には、いくつかの岐路がある。そのときには、そうと気が付かなくても、あとで「ああ、あのときが岐路だったなあ」と思う。そのとき、別の選択をしていたら、まったく違う人生になったとおもうのである。私にも、いくつか、そんな岐路があった。

実際は、それは「済んだこと」であり、それを思ったところで、今更なにも変えることはできないのだ。しかし、自分の人生の岐路を思いだし、「あり得たかもしれない未来」を思い描くのは、ちょっとした頭の体操としては悪くはない。

ほんのわずかのことで、実は自分の人生が大きく左右されていることに思い至るのである。まさに、この世の不思議ということでしょうなあ。