Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

大掃除

ほかにやることもないので、大掃除をやっている。私は、特に家中のカーテンを外して全部洗って、窓も拭いて、、、というのが好きで定番である。カーテンを洗って窓を拭くと、部屋中に清浄な気が通るのである。もっとも簡単に「大掃除したぞ感」を味わえる手法なので、おすすめである。

あとは、日ごろお世話になっている自転車を丁寧に洗う。

 

こんな掃除をしていると、思い出すのは学校時代の掃除の時間である。日本の学校は児童が自身で掃除をするというので、外国から視察が来るとたいへん驚かれるらしい。給食当番も同様である。

これは言うまでもなく、教育効果を狙ってのことなのだが、実は、そのルーツは禅宗の作務にある。日本の学校の前身は寺子屋であって、お寺が学校の役割を果たしていたものであるが、そうなるとそこに禅宗が入っている。禅では、日常生活そのものが作務としてすべて修行の対象なのであるが、ことに掃除を重んじる。その流れがそのまま学校に至ったものである。「いやあ、学校で掃除をするのは当たり前だと思っていました」なんて言う人が「私は無宗教です」と平然と宣うので、嗚呼やんぬるかなと思ってしまうのだ。あんたのやっていたことは、立派な宗教的行為なんだがなあ、、、と思ってしまうのである。

 

禅で掃除を重んじるのは、それが「己を空しくする」という禅の追求するテーマに沿っているからである。「なんでこんなことをせねばならんのだ」「なんでおれが」「こんなことは時間の無駄じゃないか」すべて雑念であり、つまりは「我欲」なのだ。仏教的に言えば、苦しみの主体は「我」であり、苦しみを去るには「我」を去るしかないのである。

無心に、目の前を清潔にするべく、掃除に打ち込むと、いつのまにか「我」が消えている。その瞬間は、我々は仏に近づいている、、、という。

 

で、何年か前に、そうして張り切って掃除をした挙句に、ぎっくり腰を発症して、年末年始休暇を棒にふった(苦笑)。

まあ、そんなわけで、午後は適当に休むとしましょうかね(笑)