Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

いつも必ず、、、は何故なのか

私の自転車通勤のルートでは、京葉道路を渡る必要がある。そこで、自動車が通れない、歩行者と自転車専用の小さなトンネルを利用していた。そのトンネルが、最近、拡幅工事を行っていて、工事中のためにトンネル内の通路が狭くなっている。自転車でのすれ違いが危険なためであろうが「自転車は降りてお通りください」という看板が何枚も立てられていて、そこは自転車を降りて引いて歩く。道路工事の交通整理のおじさんが両端の出入り口に立っていて、自転車を降りる人に「ご協力ありがとうございます」と頭をさげている。

 

で、もちろん、私は朝晩、ちゃんと自転車を降りて引いて歩く。他の人も、ほとんど、そうしている。当たり前だけど。

ところが。。。何枚もある看板を無視、交通整理のおじさんの声がけ「自転車は降りてお願いします」も無視、自転車に乗ったままスイーッと行ってしまう人がある。今朝も見かけた。先日も見かけた。

さて、どういう人種だと思いますか?

 

「高校生」とか想像しがちであるが、実は、最近の若い人たちは実にそのへんは行儀が良くて、ワアワア騒ぎながらでも、ちゃんと自転車を降りて歩く。なんだ、最近の若者は偉いじゃないか。

で、いつもガン無視、乗ったまま通行するのは、、、ママチャリに乗ったオバサン、なんですよ。今朝もそう。一昨日もそう。決まって、なんだよねえ。

 

あれ、なんでなのかなあ、と思う。ママチャリの交通ルールがめちゃくちゃなのは、よく知っているのだけど、私の観察するところ、高校生よりも中年以上の連中、オヤジも多いがそれ以上にオバチャンが多いのだ。

 

あれはねえ。自分がイケナイことをしている、という自覚もないんだと思う。だって、悪そうな顔をしてないもんね。平気なんだよね。なんというか「許されて当然」だと思っている。なんで許されるのか?そりゃ、世界は私を中心に回っているからなんだけどさ(苦笑)

 

子どもの頃は、ほんとうに世界は自分を中心に回っている。3歳児が鬼ごっこをすると、なかに目を閉じてじっと立っている子が時々いる。自分が見えないから、他人も見えないだろうと考えているからだ。世界は自分を中心に回っている。

だんだん成長してくると、そうではないことがわかり出す。学校でわかるようになるし、社会に出ると痛感させられる(苦笑)

だが、中にはずっと「許されてしまう」人もいる。自分が中心ではないはずなんだけど、自分は許されて当然だと思っている。良い言い方をすれば、世の中に対する信頼が過ぎる、、、ということか。

だから、赤信号でも通って安心、相手のクルマは必ず止まるし、自分が交差点から飛び出しても、反対方向からクルマがくることもないのだ。相手が止まってくれるはずだからだ。よって、ノールックで飛び出してもオッケー、、、ということなのだ。

 

あの絶対的な世の中に対する信頼感は、いったい、どういう根拠で醸成されるのであろうか?それが、どうもオバサンに多いことと、関係があるような気がしているのである。