Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

廃用身

「廃用身」久坂部 羊。

廃用肢は医学用語で、麻痺などで使えなくなった手足を言う。
この小説は、ある老人介護施設の医師の手記と、その奇跡を追ったドキュメント仕立てで構成されているのだが、ノンフィクションではないか?と思わせる迫力はすさまじいものがある。

簡単に言えば、ある老人保健施設で、廃用肢を切断してしまう「Aケア」なるものが実行されていく、という物語である。
麻痺で回復の見込みがなく、リハビリの負担になり、介護の負担になる手足を切断するとどうなるか?
体重がその分減り、介護の労力が軽減される。
なにより、本人も、回復の見込みのない手足のリハビリに絶望するよりも、残された手足の機能回復に取り組むようになるため、前向きになるという効果が現れた。。。というストーリーがあり、施設内では「Aケア」をどんどん実施しようという一種のカルト的な雰囲気になってしまう。

私の母も、祖母の介護に苦労して腰を痛めてしまった。
その上、足がリウマチで変形して麻痺してしまったため、おむつ交換も容易ではない。
とうとう、自宅介護を断念せざるを得なかった。実に、長い年月を母は耐えたのであるが、最後は共倒れのようになってしまい「このままでは家族がダメになる」とみんなで決めた。
介護者の負担について、この本に書かれていることは決してオーバーではない。
「Aケア」を、まんざら絵空事と否定できない怖さがあることを、私は知っている。

この本のなかで「医療は、損失と利益を比べて、利益が大きければ思い切った処置でも治療として行う」という言葉がある。これは、真実だ。
実は、10年前、強烈なメニエール病を患った。内耳のリンパ液があふれ、めまいがとまらない病気で、原因は不明である。
このとき、あまりにひどければ、内耳の神経を薬で殺してしまう治療法があるのを知った。
そうすると、当然、聴力は失われる。しかし、めまいもなくなる。
恐ろしいことであるが、そういうことも、医療ではあり得る。

だれもがいずれ老人になる。
そのときのことを、考えずにはいられない。
「老い」を考えるとき、誰もが一読すべき小説ではないだろうか?

☆☆とする。小説としての迫力は充分。ちょっとあざとい構成だと思う人がいるかもしれないけど、それもこの小説の価値を失うものではない。