Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

神道って、なんだかヘンだ。

靖国参拝のことで、神道について考えていたら、ずいぶん奇妙なことに気がついた。
神道は、宗教としては、相当おかしいのである。

というと、すぐに明治の「国家神道」だとか、その前の「神仏習合」だとか、多神教ゆえのいい加減さだとか、クリスマスと除夜の鐘と初詣をしちゃう日本人の宗教意識の薄さ、みたいな話になると思うが、全然違う話である。
神道は、宗教として、ある決定的なものが欠落しているのだ。
それは「素晴らしい死後」なのである。

宗教は、基本的には「死の恐怖」に対して、つくり出されたものである。それによって、死を怖くないものだと主張する。相対的に、生の価値が下落するのである。それゆえ、宗教戦争も起きる。神のためには、現世で生きていくことの価値は小さい、かえって神のために死ぬことは名誉だと主張するのだ。

ユダヤキリスト教では「永遠の命」イスラム教でも「神の国」仏教では「涅槃」まあ、ようするに、死後の世界は素晴らしいものが待っているから怖くない、とやるのである。これが基本だ。

ところが。。。神道では「黄泉の国」となる。死後の世界は、全然素晴らしくないのである!
むしろ、死は「穢れ」「忌むべき」というのが、神道の価値観だ。
靖国神社の例を出すと、国の為に死んだら「素晴らしい黄泉の国へ行ける」なんて教えていない。
ただただ「死んだら靖国で会おう」という合い言葉だけがあった。靖国は、英霊をお祀りするだけである。これは、宗教の名に値しないのではないだろうか?はっきりいって、前線に向かう将兵の救いにもなっていない。
つまり、靖国は、単に国家が将兵に対して、その死後も感謝の念を忘却しないという黙契のシンボルであったと考えるゆえんである。

それだけではない。もともと、全国の鎮守の森にある神社は、由来不明がたくさんある。明治になってから、仕方がないから由来をくっつけた神社が多い。神道天皇と簡単に考えるのは間違いである。

もっとすごい例が、東京の神田明神である。あそこに祀られているのは、平将門と大黒天(大国主命)である。この二人の共通点は、天皇に弓を引いたことである。天皇崇拝のシステムとして神道があり、伊勢神宮が頂点だというのは明治に整理された話で、もともと神道では敵も味方もなく尊皇も反逆もない。
現在、全国で八つの大社があるが、それ以前に「大社」を名乗っていたのは出雲大社だけであった。春日大社は、もともと春日神社であった。
11月が「神無月」であるのは有名だが、出雲では「神在月」である。天皇に反逆し、討伐された親分が祀られている神社が特別扱いだ。さらにヘンテコなことに、日本の神様は死んでしまう!イザナミだけじゃなくて、ナントカの命は国を息子に譲って亡くなられた、となる。死後の世界も素晴らしくないし、当の神様は死んでしまい、永遠の命だの再生だの、全然約束しない。
これ、ホントに宗教といえるのだろうか?

大魔神」という映画がある。神様は、ふだんは鎮まっておられる。神様が鎮まらなくなること自体が、大変なことである。日本の神様は、ただなにもせず、しずかに鎮まっておられるのが一番良いのである。この感覚は、おそらく世界でいう「宗教」とは全然異なるものであろうと思う。

つまるところ。。。
日本の神道は、宗教というよりも、単なる日本文化としての側面が大きいのではないか?
多神教といえば簡単だが、日本の神様は、別に異教徒を討伐したり、神のために死ぬことを要求しないのだ。ただただ、自分を祀ってくれれば、それで静かになさっている。

私は、神道はもちろん、宗教のひとつだ、と思っている。
しかし、それだけではなく、実は神道のもつ文化的側面がある。神道は「きよきあかきこころ」を重視するが、それが日本の文化における「約束を重んじる」ことにつながり、西欧流の契約に対する遵守がスムーズにできたので、明治維新後に西欧文明のキャッチアップがうまくいったのではないか、と思うのだ。
10年前に中国でかなりビジネスをして驚いたのは、かれら自体に「約束を守る」文化がないことであった。この文化の違いには衝撃を受けた。なんで、日本人はそういう文化を持つようになったのかと思った。もちろん、神道のおかげとは言わない。そうじゃなくて、日本人の持つ心性が神道をつくった。それが何か、もうちょっと考えてみたいと思っている。