Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

猿丸幻視行

「猿丸幻視行」井沢元彦

著者は「逆説の日本史」でその博識ぶりを披露しているが、本書が江戸川乱歩賞受賞作である。
この書がデビュー作だというんだから、驚くほかない。
つまり、それだけの名作であり、日本小説史上に残る傑作歴史ミステリである。

主人公は、なんと折口信夫である。これがまずすごい。
その折口が、いわゆる「猿丸太夫」の謎を追う。
柿本と名乗る猿丸太夫の子孫がもつ額の暗号を解くことになっている。
この額が、先祖の財宝を隠した暗号である。

猿丸といえば、百人一首
「おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき」
で有名なのだが、どういうわけか、猿丸の歌はこれしかない。
猿丸集という歌集はあるものの、本当に猿丸の歌といえる歌はなく、いずれも詠み人知らずの歌を集めたものとされている。
そういう意味で、猿丸はなぞの人物なのである。

この猿丸が、柿本人麻呂と同一人である、という説は昔からあるが、あまり学会では注目されていない。
書証がないからである。

作者は、この説と、梅原猛の「水底の歌」で有名な柿本人麻呂水刑死説を結びつける。
これには伏線があって、かの有名ないろは歌柿本人麻呂作説と結び付けられる。

いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす

この歌の沓をとると「とかなくてしす」となる。「咎なくて死す」罪無くて死んだ。
この暗号は、人麻呂が残したものだ、という話である。

そして、藤原氏が隠ぺいした歌人柿本人麻呂は同時代の柿本猴(さる)であり、高官であった。
その死後に、柿本猴の鎮魂のため、猿を「人」と高めたとする。菅原道真を「天神様」にしたように、恨みを残した人は祀って神にせねば祟るからである。
つまり、もともと柿本人麻呂という人が罪を得て猿という名前にされた(水底の歌説)ではなくて、逆に生前のサルという名前を死後に神に高めた(人麻呂)とするのである。
この主張は、実に説得力がある。

最後に、柿本の村(猿丸の子孫)の祭りで殺人事件が起こり、折口はその謎を解くのであるが、この辺のトリックはシンプルである。
そして、ついに財宝の正体が明かされ、財宝が埋められた理由も明らかにされる。

評価は☆☆☆。
日本の歴史ミステリーの金字塔。まちがいない。

井沢元彦の才能は、歴史うんちくもの(逆説シリーズ)で、その後、さらに進化をとげる。
こちらもすごく、おすすめである。

ところで、話は変わって靖国神社である。
国家神道に基づく神社だから、この神社は正当な神社でないという主張がある。
しかし、私は違うと思うのである。
国家神道が江戸期の平田神道の流れを汲む新興宗教じみたものであることは議論の余地がない。
しかし、そもそも神社の機能である「祟りを抑えるためには、祀らねばならぬ」という論理からすれば、靖国ほどぴったりしているところはなかろうと思う。
その意味で、たとえば平将門を祀った神田明神とか、菅原道真を祀った湯島天神とかと、大きな違いはない。
祀らねば祟るのである。なぜ祟るかといえば、生前に無念だったからである。
戦後の評価で正しいとか、正しくないとか、そういうこととは無関係なのである。
表向きは「顕彰」しているようだが、実は違う。「鎮めて」いるのである。
いわば、顕教密教の関係があるのである。
靖国批判をする人で、そこまで神道の教義に踏み込んでいる人はないように思う。

これは私の個人的な見解ではない。神道を少し研究すれば、同じ結論に到達するはずのものである。
まあ、大きな声ではいわないことになっているのですがね。