Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

伍子胥

伍子胥」伴野 朗著。

有名な故事成語の「臥薪嘗胆」で有名な呉越の戦いを、呉の名臣「伍子胥」を中心に描いた物語である。
十八史略を漢文で学ぶと、だいたいこの「臥薪嘗胆」をやると思う。

やはり、日本人には理解しがたい部分もあるなあ、と思うのは、たとえば伍子胥が死者の骸にむち打つ場面である。
伍子胥はもともと四面楚歌で有名な楚の人であるが、国を追われて呉に亡命し、取り立てられて重臣となった。呉は、楚を攻めてこれを破るのであるが、自分を追放し、父親を殺した王はすでに亡い。そこで、伍子胥は、その墓をあばき、その骸を鞭打つ。
恐ろしい復讐の執念と言えよう。
日本人ならば「過ぎたことは」と「水に流す」文化である。
しかし、漢人は違うのである。ずっと忘れずにいて復讐を遂げることこそ、あっぱれ称揚されるべきことなのである。
そもそも「臥薪嘗胆」の故事の意味が、日本だと「冷や飯くらい」の意だと思っている人が多いのではないか。
実際は、どんなにつらく苦しかろうと、今をしのいで、必ず復讐する物語なのである。そんな、生やさしいものではないのだ。

伍子胥の物語としては、かなり生き生きと書けていて、漢文嫌いの高校生なんかにも良さそうだ。
ただ、著者の最後の方の見解「伍子胥の最後の言葉は、伍子胥らしい快男子らしさにかけるので、後世の創作ではないか?」という説には異を唱える。
執念深い、復讐心に富んだ人が、さっぱりとした剛毅果断な人ではない。伍子胥は、最後に「今まで呉のために粉骨砕身してきたのに、私を信用しないで、佞臣の言う言葉を信じるとは」と不満を言う。私は、これは創作ではなく、必ず伍子胥自身が言った言葉だろうと思っている。
どん底から這い上がった執念が、この物語の著者には欠けているので、リアリティを感じられないのではなかろうか?あるいは、身近にそういう友を得なかったか?想像力の限界を感じる。

評価は☆である。
十八史略の小説化には成功している。しかし、著者の伍子胥に対する分析の視点には、やや踏み込みの甘さを覚える。
無から這い上がる人生に、そんなにきれいな人生なんか、ないと思うのだ。私がそういう汚いところを、たくさん持ちすぎているためかもしれないが。