Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

死後の世界について

宗教関連について。

私の宗教に関する公式見解は「死の恐怖の軽減システム」というものだ。死後の世界があると信じれば、誰も避けることのできないこの事態について、いくらか気楽になるだろう。
以前、ちょっと「聖と俗」ということを知ったのだが、元来が即物的な人間なので、その概念が未だうまく消化できていないためである。

以前にも指摘したが、雌雄の性別のない生物には死は存在しない。
つまり、死は遺伝子の交換を行い「世代交代」を実現するため、生物が獲得した能力である。「命短し恋せよ乙女」は、生物学的に言って真実なんである。

問題なのは、この獲得した能力を、生物個体が認識してしまう場合である。
実は、猫には前頭葉がない。前頭葉がないと、想像力がない。つまり、猫は「明日の心配をしない」のでは?と思われている。猫には、死の恐怖がないということになろうか?飼ったことがないのでわからない。
犬には前頭葉がある。だから、犬は多少の未来のことについて想像力がある。彼らは明日の心配をするかもしれない。なんとなく、そんな雰囲気があったように思う。犬には、宗教があるだろうか?

孔子は「我未だ生を知らず、いづくんぞ死を知らん」と言った。「怪力乱神を語らず」とも。
以後、これが知性ある(と自認する)人のスタンダードなこの問題に関する回答となったように思われる。

さて、公式見解と断ったのだが、実は私は死後の世界に関して、ひょっとしたら信じているかもしれないからだ。
その経験を書こうとしたのだ。ずいぶん昔のこと。
そうしたら、ダメだと言われる。言ってはならぬ、と。
だから、書けません。

だけど。
こういう論理もある。デカルトが言った(はずである)。
「もし、神の存在、不存在で悩んでいるなら、それは存在すると信じた方が良い。神が存在すると信じて、もしそうでなくても失うものは何もないのだから」

死後の世界も、ひょっとしたらそういう論理でいいのかもしれないな。