Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

アメリカの鏡・日本(抄訳)

アメリカの鏡・日本」(抄訳)ヘレン・ミアーズ。

長らく入手不可能だったこの著書が、抄訳であるが復活したことは嬉しい。
さっそく入手して読んだ。

読み終わると同時に、小泉首相靖国参拝。なにか、因縁を感じた次第である。

著者のヘレン・ミアーズは、日本に対する批判は等しく米国および列強各国(連合国)に向けられるものだとする。
当時の「国際秩序」なるもの自体が、既に植民地を確保していた列強にとって、その体制維持を目的としたものにすぎないではないか?
そして、その「やり方」を日本に教えたのは、アメリカではないか?
自国の海岸線の、遙か彼方であっても、それが自国の利益を守るためなら「自衛戦争」であると主張したのは、アメリカ自身ではないか?
日華事変が、あっという間に終わらないよう、泥沼になるよう、生かさず殺さずの程度になるように蒋介石政権を支援したのはアメリカではないか?
日本の緒戦の勝利は、実質は戦闘らしい戦闘もなく、現地住民の呼応によって駐留軍が維持できずに撤退したことによるものがほとんどではないか?
植民地主義反帝国主義を唱えていたのに、あっさりと東欧をブロック化し、ドイツを分割し、満州を領土に組み入れ、北海道の分割統治を主張したのはソビエトではないか?
そのソビエトを牽制するため、すでに勝負を決していた戦争に原爆を使用したではないか?
これらの国の、どこに日本を責める資格があるというのか?

著者は、決して「日本無罪論」を述べているわけではない。
しかし、罪は相対的なものであり、日本は「世界征服」など企んだわけではない、後進国日本の輸出品には鉛筆から玩具、繊維製品に至るまで100%以上の関税がかけられ、かつ資源の輸入をブロック経済で縛った。満州がなければ、当時の日本は食っていくことすらできなかった。
そういう状況をつくった列強に罪がないのなら、日本の罪だって敗戦によって充分贖われたはずだ、そして中国が平和的で日本が好戦的だというのはプロパガンダの結果にすぎないと批判する。

私は、まず何よりも、このような本を書く人がいた米国、この本を戦後間もない頃に出版できた米国という国の偉大さを感じる(日本ではマッカーサーにより発禁)。
このように考える人があり、その言論の自由があった。
これこそ、日本が負けたことだと思う。

今、このような民主主義も、言論の自由もない国が、過去の歴史を云々する資格があるのか、私はそのこと自体を疑問に思うのだ。
主張は様々あるだろうが、少なくとも、それら意見の自由な表明の積み重ねから以外に、確かな歴史の評価など、あろうはずがない。
いかにすぐれた理論だろうと、自由な言論の淘汰を受けねば、単なる独善、ドグマの誹りを免れぬ。

評価は☆☆☆である。
この本は、単なるイデオロギー本じゃない。すぐれて、一つの文明批評、近代化そのものに対する異議申し立てになっている。
歴史的名著、といえると思う。