Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ゲーデルの不完全性定理

ゲーデル不完全性定理高橋昌一郎

ゲーデル不完全性定理とは、自然数論を含むシステムの中で無矛盾かつ証明可能な命題はない、というもの。一般にすべての理性的な命題は自然数論を含むから、人間の理性の限界を示したなどと言われる場合もある。
本書に従って、簡単なたとえ話で説明すると。

ある島にナイトとネイブが住んでいる(複数)。ナイトは真実しか話せないし、ネイブはウソしかつけない。
たとえば「1は偶数だ」と言ったら、そいつはネイブだ。
では、もしも「私はナイトだ」と言ったら?ナイトかもしれないし、ネイブかもしれない。どっちか証明不可能である。「私はナイトではない」「私はネイブだ」という発言は、ネイブには不可能だしナイトにも不可能だから矛盾である。
そこで、ナイトだけが所属できるナイトクラブ、ネイブだけが所属できるネイブクラブをつくる。すると、「私はナイトクラブ会員だ」という発言はどっちでも可能である。「私はネイブクラブ会員だ」という発言は矛盾である。「私はナイトクラブ会員でない」という発言は、ネイブにはできないがナイトだけどナイトクラブ会員ではないナイトには可能だから、この人がナイトだということは矛盾なく証明できる。そこで、この人をナイトクラブに加入させようとする。ところが、この人は「私はナイトクラブ会員でない」としか発言できない人で、ナイトクラブにはいってしまうと矛盾になるから、絶対にナイトクラブには加入できない。この人は真実を述べているのだが「ナイトであればナイトクラブに加入できるはずなのに、加入できないのである。
つまり。ナイトとネイブ、という単一のシステム内のときでは矛盾だったことを解決しようとして、新たなシステムを導入するとまた新たな証明不可能が出てしまう、、、ということらしい。

あるシステム内の自己言及性に関する矛盾の例だが、たとえば「独裁を要求する国民ばかりの民主主義国」みたいなケースにも当てはまる。ま、その例をそのまま地でいったのが共産主義であって、ありゃ独裁だけど民主主義だということになっているのだ(^^;)その矛盾を解決しようと考えると、更に別のシステムが必要となって、また矛盾が出て、、、キリがないので「弁証法」だと言って誤魔化すんであるが、つまりは、それは人間が用いる理性そのものの限界だと「証明」してしまったのがゲーデルだということである。

もっとも、その事実自体をゲーデルという人間そのものが証明してしてしまったという問題が、また新たにでてくることも言うまでもない。

たいへん面白い本で、評価は☆☆。
あとの一つは、私自身の数学的素養の無さであって、もうちょっと数学センスのある方が読めば、なお面白い本なのだろうと想像する。

「なんで、この人はこんな事を自信ありげに断言できるのか?」という疑問を持つことがあると思う。それは、彼のアタマの中のシステムでは無矛盾なのである。「無矛盾かつ証明可能」はないので、無矛盾だと信じていれば、証明可能性に目をつぶっていると考えられるわけで、無矛盾かつ証明を求めれば、そのシステムの外部にでなければならない。
なんと、思い当たることが大きいことかと思うのだが。。。誤解がある、かな(苦笑)