Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

オークションについて

最近、ネットオークションが盛んなようだ。
私もたまに利用する。騙されたことはない(笑)。これは結構、インターネットによる革新的なサービスではないかと思う。

しばしば、サラ金が原因の悲惨な事件を耳にする。
私は「消費者金融」などという言葉は使わない。あれは、サラ金である。主としてサラリーマンを対象とした金融サービスであるから、サラ金で不都合がない。消費者?なんじゃ、そりゃ。この世に、消費しない人間なんているものか。いたら、それは死人だけだろう。

日本の伝統的金融サービスとして質屋がある。質草を入れて、金銭を借りる。期日までに返せなければ、質草は流れてしまう。それは残念なことであるが、しかし、質草が流れたらば「それでおしまい」なのである。借金取りが押しかけて、一家破滅にはならない。
そして、貸し手側の質屋にも、質草の善し悪しを見分ける眼力が必要とされる。借りる方、貸す方、双方に努力を要する。これぞ、公平な商取引というものではないか?私は、金融業であっても質屋には一目おいている。実に立派な商売だと思う。

それにひきかえ、サラ金を見よ。私は、あんまり感心しないな。

サラ金が隆盛を見たのにはワケがあると思う。まさに「サラリーマン金融」だから。
現金収入を求めて、地方から都会に働きにきたサラリーマン家庭、なかんづく核家族の家庭において、果たして質草となりそうなものが一体あるかね?
代々受け継がれた家から離れたサラリーマンに、質草になるのは自動車と住宅ぐらいのものではないか。自動車は工業化社会の生産品のなかで、唯一の再販市場が整備された品物だ。住宅が「質流れ」になるとき、それは様々なマスコミで報じられる悲劇のときである。ヘタすりゃホームレスである。
「質草がなくなった家庭」を狙ったのがサラ金だろうと思う。商売としては、うまいところに目を付けたものだと思うが、その一方でどうしても感心できない気がする。
こんな商売がはやる社会になってしまったことに、暗澹たる思いがするからである。

さて、そこでネットオークションであるが。
私が後生大事に抱え込んでいるオーディオ部品などが、結構よく動いているみたいだ。ものによっては、プレミアがついてしまい、購入したときよりも高値がついているものもある。
つまり、私もいざとなれば、結構「切り売りして食いつなぐ」ができそうだ。
従来の質屋や古道具屋では扱われなかった品物(家電品など)に、ちゃんと値がついている。
これは、なかなか面白いことではないか。

インターネットは、古道具屋とか質屋とか、思いも寄らぬ方面の商売を新しい形で復活させてくれるのかもしれない。それは、我々が失った「何か」を、想像もつかなかった方法で蘇らせるのかもしれない。
そう思って、ついつい期待してしまうのだな。

だって、サラ金でカネを借りるよりも、惜譲した愛機の代金で食いつなぐほうが安心ではないか。
手元を離れた愛機だって、陋屋で死蔵されるよりも、使われたほうが嬉しいに決まっていると思う。

私は、今まで買い手になったことしかないが、売り手になってみるのも悪くないかもしれないと思い始めているのである。いや、別に、今食べるのに不自由しているわけではないんだけどね。