Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

シュリーマン旅行記 清国・日本

シュリーマン旅行記 清国・日本」H・シュリーマン

シュリーマン」とは、あのトロイア遺跡の発掘で有名なシュリーマンである。彼は、幕末の日本に来航して、大変面白い旅行記を書き残しているのだ。
あのトロイア遺跡発掘の6年前である。まだ日本は明治政府の成立前であった。

で、このような「世界でも有名人」の、しかも「幕末日本の旅行記」という、まるで教科書にでも載りそうな美味しいネタの話であるのに、なんでこのことが人口に膾炙しないのであるか---。
結論からいえば「日本を清国より良く書いてあるから」である。むろん、私の偏見である(笑)。だけどね、実際に清国を「不潔でだらしなくて愛想もない」と書き、その一方で日本をその反対「清潔好きで、人々は穏やかで、キリスト教以外の国でもっとも進んだ」などと書いてあるのだから、どうしたって反○な人達が取り上げるわけにいかんではないか(苦笑)。

たとえば、こんな話がある。
シュリーマンが横須賀に来航し、通関手続きをとる。簡単に言えば、手荷物検査である。荷をほどくのが面倒なシュリーマンは、役人を買収しようと持ちかける。この手は、どこの国でも一般に通用する(そして、今でも世界の多くの国々で有効な)手である。
すると、役人は「ニッポンムスコ(日本男児という意)」と胸を叩いてみせて、これを拒否する。「金を受け取るくらいなら、彼らはハラキリを選ぶ」シュリーマンならずとも、感動する話である。

我々は現代に生きる日本人であるから、「それは建前だろう」とシニカルな目を向けるかもしれない。しかし、考えてみて欲しい。「建前」が悪だという考え方は、人類一般に公知のものではないと知るべきである。「建前」が仮に「やせ我慢」だとしても、それを尊いとする価値観は充分にあるのだ。

おもしろい記述としては、犬の話がある。日本の犬は、みな道の真ん中で寝そべっていて、人が犬を踏まないように避けなければならない。世界を旅したが、犬がこんなに大人しい国は初めて見たと書いてある。犬は、人間と地面を分かち合ってちゃんと生きていたのであろう。今のように、犬が散歩するだけで
「俺の土地だ」とわめき散らす日本人は、当時はすくなかったに相違ない。

評価は☆☆。
素晴らしい書である。一読、お勧めである。

この本を読んで、自分が日本人であることを改めて誇らしく思うのなら、それは微笑ましいことである。私は、あまりに「多くのもの」を、日本人が失ったことに気づいて、実はむしろ悲しむ。
渡辺京二が「逝きし世の面影」で書いた、優しくて穏やかな夢のような国(それがすべてと言わないが、しかし、そのような美点が確かに存在した)は、すでにない。それを仕方のないことだと思うし、そうしなくては生きていかれなかったこの国の運命を思う。
「そのようにしたもの」を憎む心性は、私にはない。「そのように、あるものを対立させて考えること」自体を、逝きし世の人々はきっと採らないはずである。