Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

武士道

「武士道」新渡戸稲造

今や日本人には「武士道」は死語だろう。そういう時代は、遙か遠くに去ってしまった。

原文は英語であるが、もちろん、私の英語力でこの名著が読めるわけもないのであって、翻訳本である。

武士道を一言で言い表すのは難しい。著者は武士道を「階級の哲学だから」「民主制とは相容れないだろう」と言っている。戦前日本だって、日本人自身が自分たちの国を「民主」だと思っていたのである。だから、武士道は、明治の人にとってさえ、既に遠くなりかけたもので、しかし、日本人の心性の根底にあるものだった。

やっぱり遠くなったのだ、としか、今の私には言えない。

評価は☆☆。
日本人なら、一度は読むべき本だろうと思える。だけど、この本を読んで「武士の如く」生きることは、既に現在の日本人にはできないだろうとも思う。

新渡戸稲造自身は「武士道は、高貴な埋葬をされるべき」だと述べている。西洋の騎士道と同じで「近代には滅びていくべき運命のもの」だから。しかし、それでも武士道を、ただの否定されるべき過去だと捉えてはいない。滅び行く武士道に対する、なんとも表現しがたい哀感が巻末近くには漂っている。

*追記

武士道批判は簡単で、そんなものは「近代化」「産業化」の立場から考えれば、左右どちらかでも、充分可能である。左派からの批判は「アジアを侵略した日本人が何を抜かす」という(すごく分かり易く書けば、そういうこと)が代表である。右派批判は「今さら負けちまったんだからガタガタ抜かすな」というサッポロビール派ということになる。

そもそも、武士道とは、そういう「近代化」「産業化」を否定することに本質がある。ハッキリ言えば「貧乏で不都合はない」「物質よりも精神である」「進歩なぞする必要はない」「生きることが善だという無条件の保証はない(刀は抜かないが、抜けばイチコロ)」「人間は役割に応じて生きるべきであって、義務と権利でいえば、義務を負うほうが善である」「生と死の間に、大した違いはない」「平等などには価値はない」「分相応」などということになる(乱暴に分かり易くいえば)。
封建主義思想ということにつながるわけだが、現代でいえば「革命的過激思想」の部類になってしまう。安易に持ち上げるのは、甚だ危険なのである。
逆にいえば、武士道側からの反論は、すべて「反近代化」「反産業化」の視点から可能である。けれども、議論は水と油で、まったく噛み合わないだろう。
だから「武士道批判」に対する反論も、あえてここに書かないことにした。そういう議論にもっともなじまないのが武士道だと思うからである。