Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ナショナリズム


名著でたどる日本思想入門と副題がついており、ブックガイド的な役割をも果たしつつ「ナショナリズムって何ですか?」という身も蓋もない疑問に応える。勇気ある書だと言えるだろう。著者の「右翼と左翼」もそうだったが、こういう基本的な問いに答える入門書がないのは不思議である。

で、その「名著」だが、ビックリ仰天なことにマンガ「男一匹ガキ大将(本宮ひろし)」だの「海底軍艦轟天」だの「宇宙戦艦ヤマト」だのまで登場。もちろん、司馬遼太郎山岡荘八徳川家康NHKプロジェクトXまで忘れない。つまり、偉い思想家(=センセイ)の書いた書物でなく、庶民になぜ「ナショナリズム」が膾炙したのか、その背景にスポットを当てる。これは、歴史のなかでも「民衆史観」の方法であって、非常に興味深い。考えさせられる点が多々あった。

男一匹ガキ大将についていえば、現在の文庫本からは削除されている連載後半を問題にする。なぜ、外国人とは「戦った敵と友になり、新たな敵に向かう」という少年ジャンプ的ストーリーが成立しないのか?
なぜ、暴走族はしばしば「特高服」をきて、あまつさえ「旭日旗」まで掲げることがあるのか?(体制側のシンボルじゃないの?)
なぜ、海底軍艦の乗組員は、日本国籍を捨てた人々でなくてはならないのか?
なぜ、宇宙戦艦ヤマトの乗組員は、すべて日本人なのか?
司馬遼太郎の描いた「明治」は、プロジェクトXと同じ「機能主義的組織」への賛歌である点の指摘などなど。盛りだくさん、実に刺激的な内容である。

評価は☆☆☆。
少なくとも、ナショナリズムに言及する際には、一読しておくべき書物じゃないか、と思える。出色の出来であると思う。

ところで。
「国民」「国家」「国語」「国歌」など、すべて明治の発明であることは、だいたい今日の常識となっている。これに関して不思議なことは、すべて「国家指導者がおしつけた」という説明でことたれりとすることであろう。どう考えても「なぜ民衆に受容されたか?」のほうが大事じゃないのかな?
明治期に「発明」された、これらの文化を、今に至るも民衆が手放そうとしているとは思われない。それが何故か?という説明は、その当の「民衆史観」からは、なかなか出てこないのだ。勢い、抑圧された少数部族(アイヌや沖縄、被差別部落民など)中心の説明になるのであるけど、大多数の人間によって生み出される社会の動きを記述できないのは、方法論としての欠陥を指摘されても仕方があるまい。
もっといえば、明治に「発明」された「国家」が、なぜかくも速やかに受けいられたのか?という説明がなくては「民衆史観」にならぬはずなのである。歴史は民衆がつくる、指導者なんか民衆の上に載っているだけだ、というのが「民衆史観」の基本原理なんだからさ。

本書の末尾に著者が指摘する「日本人のナショナリズム」が、実は「反西欧」という軸でしか語られなかったという指摘は、非常に重いものである。東洋文明という際に、ことさら西欧との違いを主張しなければ語ったことにならない。日本人にとって西欧文明とは何なのか?実は、ナショナリズムの問題は、そちらの問題に突き当たるのじゃないかということである。
これは、深い話である。

今はこれ以上書けないので、しばらく措くことにしよう。