Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

坂の上の雲


どうやら、大河ドラマになるらしく、あちこちの本屋で平積みになっている。
昔に読んだはずなのだが、押し入れの中でわからない。そうかといって、また新しく買うのも、、、と思っていたら、近所の古本屋で揃っていた。いやあ、良い世の中ですなあ。
すでに物故した作家だし、まあ良いだろうと思い購入。
どうでもいいけど、現役作家で当方がファンである場合は、なるべく新しく購入するようにしている。印税を払って応援したいからである。故人の場合は、古本でもいいや、と。まあ、くだらない話ですなあ。

で、この長大な物語を、20ウン年ぶりに読み直したわけである。

実は、この本を読み直そうと思ったきっかけは、浅羽通明ナショナリズム」を読んだからであった。
その中に、本作品(といわず、司馬作品全般にいえることとして)に関する批評として「実態は、プロジェクトXである」というのがあったからである。
「なるほど」と思った。
つまり、作品の中で「善」として描かれているのは、技術者なり軍人なり、あるいは正岡子規であっても、それぞれがそれぞれの役割を自覚して、最高度の能力を発揮する「有機体のような」明治日本である。
戦後の日本の復興を支えた、多くの企業戦士達の「懸命の努力」と相似形をみるのは、そんなに難しくない。
そう思って読むと、たしかにバックミュージックに中島みゆき地上の星」が聞こえてきそうな気がするもんなあ。

言うまでもないが、プロジェクトXでは「失敗談」は取り上げられない。
日露戦争までは自衛戦争、その後の戦争は侵略戦争という司馬史観について、左右両方から批判があるのだが、プロジェクトXとして読むと、たしかに「製品開発に失敗しました」じゃあ、ドラマになりませんわなあ(苦笑)
つまり、史観の問題というよりは、読み物としての成立のしやすさ、が基準だったのかもしれないと思う。身も蓋もないですな。。。

名作の誉れも高いし、読んでいてもたしかに面白い。もちろん☆☆とするしかないですが。

ちょっと違和感があるのは、間に挿入される著者の独白である。あれはいらないんじゃないか、と思う。
たんたんと物語を進めるほうが良かったのではないか、と。
もちろん、司馬大先生に文句をつけるわけではありませんで、単なる個人的好みの問題である。ストーリー上から「はみ出してしまう」言葉は、たしかに「書かずには居られなかった」ものだろうけど。

本書を読んで、やっぱり傑出しているなあ、と思うのは児玉源太郎である。
秋山真之については、実は「敵前大回頭」を立案したのは島村速雄ではないか、とする説が有力になってきていることもあり、神格化のしすぎじゃないか、なんて話もあるようだ。
この本を読んでいても、奇人変人ぶりが少々大げさだな、と感じることはある。
けれども、児玉源太郎に関しては、そういう疑問をほとんど抱かない。
この本のおかげで児玉源太郎の戦後評価が高まったという話があるようだけど、それはムリもないと思う。準主役で、こんなに目立つキャラクターもいないのじゃないかな。
本書をもとに、ホントにプロジェクトXをつくるとしたら、主役は児玉源太郎のほうがピッタリくる、、、なんて、テレビ発想もいいかげんにせい、ということですな。ほんとにすみません(苦笑)