Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

海軍乙事件

「海軍乙事件」吉村昭

大東亜戦争において、日本海軍の将官は実に多く戦没している。これは、英国海軍に範をとった日本海軍が、艦と運命をともにするのを美徳と考えていたためである。よく「菊の御紋章がついているから」というが、あれは俗説であって、実際にマレー沖海戦で撃沈された英国東洋艦隊のT・J・フィリップス提督も乗艦プリンス・オブ・ウェールズと運命をともにしている。
日本海軍は全滅に近いくらいやられてしまったので、将官級の被害が拡大した。山口多聞や角田覚治といった良将をあたら失う、実にやっかいな伝統であったと言わねばならない。

しかし、その中でも山本五十六、古賀峯一という連合艦隊指令長官を2名も失ったのは、まさに悲劇というほかなかった。いずれも飛行機で亡くなっており、山本長官は搭乗機ごと撃墜されて、これを「海軍甲事件」という。重大事件なので、直接名前を出すのをはばかったのである。
古賀峯一長官の場合は、戦局に暗雲漂う1944年3月31日、司令部をパラオからダバオまで下げることになり、その移動中に搭乗機が悪天候のために遭難したのである。

本書は、この事件のとき、同じく悪天候のために不時着した2番機(1番機が長官機であった)の事件を可能な限り取材してかかれた力作である。

2番機には、福留繁参謀長が搭乗していた。悪天候のために進路を失い、やむなくフィリピン近くの小島に不時着して、一行はそのまま米国支援下のゲリラに捕らわれる。
海軍陸戦隊は、極秘に捜査救出しようとするが、うまくいかない。一方、陸軍は偶然、ゲリラ討伐戦の中で「海軍高級軍人が、捕虜になっているらしい」ことを察知する。海軍側の要請で、殲滅間近のゲリラを見逃す代わりに捕虜の解放が行われることになり、福留参謀長は日本に帰国する。

ここで問題となるのは、「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ」という戦陣訓違反である。それも、参謀長といえば、長官に次ぐ地位である。海軍首脳部は苦悩し、帰国した福留参謀長を「護衛をつけず、一晩宿舎に留め置く」という措置をする。自決してくれぬか、という期待があったのだ。しかし、福留参謀長にその気配は全くなかった。
海軍首脳部は紛糾するが「捕まったのは匪軍(ゲリラ)で、敵国ではない。機密も漏洩していない。拷問でも、何も話していない」ということで、不問とした。それどころか、「何もなかった」ことにするため、福留参謀長を栄転させる人事すら行ったのである。

しかし、現実には、一行が保持していた作戦書はゲリラの手から米軍に渡っていた。日本は乾坤一擲の作戦「あ号作戦」に失敗し、サイパンは陥落。重要拠点を失い、米潜水艦が跋扈するようになって、いよいよ本土が飢えていく局面が訪れるのである。
この「あ号作戦」であるが、つまり、米軍はすべて日本軍の手の内を知ってから戦ったのであった。勝てる道理がない。

評価は☆。
吉村氏の著作は、実に調査がしっかりしているのが特色である。「戦艦武蔵」も、吉田満の「戦艦大和ノ最期」なぞより、はるかによく書けているのである。

本書を読んで思いついた点だが。
福留参謀長がゲリラに捕まった折に、重要機密が実は敵に筒抜けになったのではないか?という疑念は、海軍の高級将官の中にはかなり広範囲に存在したらしい。
そこで思い浮かぶのが、大東亜戦史最大の謎であるレイテ海戦「栗田艦隊謎の反転」である。栗田中将は、最期まで反転の理由を明らかにしないまま、この世を去った。
栗田中将が墓場に持って行った秘密は何か?
ひょっとして「福留参謀長から、すでに捷一号作戦の概要も漏れている」という疑念があったのではないか?それなら、レイテに突入したところで、敵が手ぐすねひいて待ちかまえているだけの話になる。それまで散々米護衛空母の反撃で多数の艦艇を喪失していた栗田艦隊だが、「護衛空母を正式空母と誤認していた」ことはよく知られている。つまり、「米軍に作戦概要が漏れているから、米正式空母が作戦海域にうろうろしているのだ」と思ったとしても不思議はないだろう。
それなら、作戦行動を中止し離脱しても不思議はない。

戦後も一貫して、福留参謀長は機密流出を否定し続けた。しかし、米軍から作戦資料が丸々見つかるという劇的な形で、福留参謀長の主張は否定された。
栗田中将は、先任中将である福留参謀長への疑念を、ついに戦後も口にすることができなかったのではないか?それで、沈黙を守ったまま死んだのではないかと思うのである。素人の勝手な思いつきである(苦笑)。