「原因はなんだ」なんて、よく言う人がいるではないか。
けど、これ、ある意味で「科学的思考」という名の宗教、じゃないかと思うことがある。
けど、これ、ある意味で「科学的思考」という名の宗教、じゃないかと思うことがある。
ま、会社経営だろうと、政治問題だろうと。「原因はなんだ」「○○である」「でれば、△△すればよろしい」という式の議論で、よく聞く話である。
こういう話は、問題が「クリアに見える」効用がある。
こういう話は、問題が「クリアに見える」効用がある。
けどね。
たとえば、ですよ。問題があるとして
「原因はなんだ」
「ハイ、△△であります」
「わかってるなら、なんでやらないんだ?!このばか者」
とはなりませんかな?
わかってても出来ない、そっちのほうが問題だということで、ただ、それをいっちゃあおしめえよ、みたいな話も多いと思うね。
たとえば、ですよ。問題があるとして
「原因はなんだ」
「ハイ、△△であります」
「わかってるなら、なんでやらないんだ?!このばか者」
とはなりませんかな?
わかってても出来ない、そっちのほうが問題だということで、ただ、それをいっちゃあおしめえよ、みたいな話も多いと思うね。
で、「そうはいかん」ことを論じだすと、それはそれはいろんな要因が出てくるのだ。先進国と後進国の違い、生活、文化、私利私欲、人権、エネルギー技術、産業構造その他。
で、そういうことをえんえんと並べると、じれた人は叫ぶ。「いったい、原因は何なんだ!」
で、そういうことをえんえんと並べると、じれた人は叫ぶ。「いったい、原因は何なんだ!」
単純化してわかったつもりになりたい、というのは、自分が愚かだと認めたくないってことかもしれない。愚かなまま、おろおろするのも、ひとつの「人として正しい困り方」だと思うのですがね(苦笑)