Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

愚行録

「愚行録」貫井徳郎

同じ人物の同じような特長でも、見る人によってその評価は異なる。
「決断力がない」「グズ」だと言われている人も、他の人から見れば「落ち着いていて慌てない」「慎重に判断する」好ましい性格ということなる。
「軽佻浮薄」「アタマの中身も軽い」人物が「リアクションがいい」「瞬発力がある」と評価されるのは珍しくない。
ある一人の人物を見たときに、同じ人が対象でもこれほど評価は変わるのである。
そこに、人間だから好悪の感情がくっつく。極端になると「お前みたいな奴が一番嫌いなんだよ、虫酸が走る」ということになる。
そして、惨劇が起きる。

この小説の冒頭では、一家四人が惨殺される。
あるフリーライターが、事件の背景を調べて記事にしようと動き出す。
最初は近所の人から始まり、子供の学校のPTAの人や学生時代の友人などに話を聞いていく。
そのレポートがえんえんと続くのである。
そういうインタビューの連続で、被害者の人格がだいたい分かってくる。
美人で誰にも分け隔てのない人は、別の人によっては「自分の優越を確信しているとても嫌な女」「自分のプライドを保つためには人を親切ごかしに陥れる女」になるのである。
そして、このインタビュー記事を通して、実は真犯人にインタビューしていたことが分かる、という趣向である。


評価は☆☆。
まあ、貫井徳郎だからねえ。ハズレはないんである。
この小説の救いのなさ、やりきれない感は素晴らしい(笑)。
いや、人間って、こんなもんでしょ?私もあなたも愚かでしょ?だって人間なんだも~ん。
そんな感じである。

いいじゃないの。
何も「読んでスカッとしたり、ほっこりしたり」するのが小説じゃないのだ。
小説は道徳の教科書や宗教の新聞じゃないのだ。
ひどい有様を描いてもいいし、そこで空しい読後感に襲われるのも良い。
作者が作り出した世界に、読み手の世界がクロスしたとき。そのクロスするところが面白いわけだから。

どうでもいいことですが。
最近のテレビやマスコミ、もちろんネットの言説も「俺が正しい」「間違ったやつはダメ人間」という調子であふれかえっているように思うのである。
私は、そういう有様をみて、つくづくバカバカしいと思うのである。
正しい言説。けっ(苦笑)正しすぎて欠伸がでらあ。

ま、そういう視野狭窄に陥らないためにも、こんな本をたまに読むのは、とても悪くないと思うわけですなあ。