Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

小さい民主主義に思う

どんなにちいさくても、つまり「町内会」であっても一応「民主主義」である。
その「民主主義」とはどんなものか。

私の実家で、もう3年間にもなるが、ある日、○○さんの奥さんがやってきたそうな。当時、○○さん宅の前がゴミ置き場となっていた。
「ウチのゴミ置き場もちょうど1年になるんだけど。やっぱり、こういうのは1年ごとに持ち回りじゃないか、と思うのよ。それで、今度は××さん(うちの実家である)にお願いできればと思って」
ウチの両親はお人好しであるから(馬鹿ともいう)「ハイハイ」と返事した。さっそく○○さんは「今度、来年から××さんがゴミ置き場を変わってくれるそうよ」と近所に放送してまわった。
その暮れの町内会で、「ゴミ置き場変更の件」が満場一致で可決されたのは言うまでもない。

で、一年後である。ウチの親が「あの、ゴミ置き場変更の件ですけど」と切り出した。ウチも1年やったから、誰か次の人に変わってもらいたい。
で、皆「そんな話はしらない」という。本音は、自宅の前がゴミ置き場にされるのはイヤだというのである。
「でも、去年は持ち回り、という話だったじゃありませんか」
しかし、○○さんは知らん振り。「私は、そんな話した覚えはないわよ」
町内会長は「そりゃ、○○さんと××さんの間の問題だから。町内会の問題じゃないので議事終わります」それはない、とウチの馬鹿親が抗議しかけたが「だって、みんなには関係ないですから」

それで、既に3年が過ぎた、ということである。

ゴミ置き場は、冬は良いが、夏だとニオイも強烈である。おまけに、実家の玄関先である。快いわけがない。

どうしたらよかろう、と親が言うので「○○さんが近所に触れ回ったときに」持ち回りだ、という話を聞いた人が他にいないか探せ、と言った。両親が聞き込んでみると、やはり何軒か出てきた。「どうして××さんはゴミ置き場の変更を了解したの?」と質問する人がいたので、やはり「待ち周りだから」と話したようだった。
「それなら、町内会で、ゴミ置き場を変えてくれ、というのではなく、約束を守ってくれと言えばいい。ゴミ置き場を変えてくれ、というのは自分の都合にすぎないが、持ち回りにするという話なら、みんなの問題だろう。みんなで負担をしよう、と言えばいい」
しかし、この動議も受け入れられなかった。
町内会では、誰も賛成者がなかった。「今までどおり××さんがやればいい」が多数意見だったそうだ。

民主主義といい、「みんな」が神であるという。民主主義ってそんなものだ。

マスコミでは、今日も誰が謝罪したとか、誰が謝罪しないとか、そんな話で盛りだくさんだ。謝罪を要求し、その謝罪が「こころがこもっているか否か」を基準にして判定する。まるで神様だ。そうなのだ、マスコミは「多数」だから「神」なのである。

私は、もしもそんな「踏み絵」があれば、にこにこ顔でふんづけるだろう。不信心者で結構である。私が信じている神様は、どうも異教のようなのだなあ。

民主主義に反対するわけじゃないけれど、あまり心の底から信じる気もない。じゃあ、お前は何を信じているんだ?という話になるのだろうけど、その回答は難しい。ま、あえていえば、それは日本古来の八百万の神だろうと思う。暴れるわ怒るわ姦通するわ嫉妬するわ、もうたいへんな神様がわんさか(笑)。だけど、神様って、そういうもんだと思っていたほうが、遙かに健全なような気がするのだがなあ。