Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ホントの話

「ホントの話」呉智英

ご存じ、煮ても焼いても食えない極論、暴論の御大、呉氏である。
この人のすごいところは、すべて「正論」であることであって、私は氏の書物を読むと「いかに正論というものが奇妙奇天烈なものか」をしみじみと思い知る。
そして、つい笑ってしまうのだ。

さて、本書の中で「民主主義」について書かれた章をかんたんに紹介する。
氏は、民主主義者ではなくて、封建主義者であるから(苦笑)民主主義を厳しく批判するのだ。
つまりは「無責任の思想」ではないか、というのである。
具体的に、憲法15条の4項にこう書いてある。
「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問われない。」

まず前半の秘密投票、これは良いとしよう。問題は後段である。選挙人(つまり有権者)は、その選択に関しては、公的にも私的にも責任を問われない。
たとえば、民主党は、財政の悪化について、そりゃ長きにわたる自民党政治の問題だと逆襲している。
質問者の趣旨は、財政悪化させた原因を問うたのではなくて、財政が悪化していることについて再建をする気があるのか否か、その予算編成の基本姿勢を問うたもので、これが回答になっていないことは明白だ。子どもの喧嘩のような低レベルの話である。
しかし、その趣旨ズレ答弁の問題をいったん措くとして、理の当然として「そんな自民党を長きにわたって支持し続けた有権者の責任」はどうなのか?という話につながるのではないかと思うだろう。
つまり、自民党政権が財政悪化の原因だとすれば、そもそも自民党に投票した国民ってどうなのよ?が普通の理屈だろう、ということである。
ところが、そこに先の憲法15条が生きてくるのですな。
国民は、投票という権利は行使するが、その選択に関しては公的にも私的にも責任を問われない、すなわち「無責任」でいいのである。
「なんだ、ふざけやがって、首相がアホだ」と批判だけしていても、いっこうに構わない。そんなアホな人物に投票した自分のことは棚に上げて良いのである。
なにしろ、憲法に「無責任でいい」と、しっかり書いてあるのですからね(笑)

さて、この体制を「それは無責任ではありませぬか」と指弾する呉氏の指摘はどうだろう?
そう、どう考えても「正論」なのである、困ったことに(苦笑)

評価は☆☆。相変わらずの刺激に満ちた本。

この章で、著者は、以下のような指摘も行う。
みんなで決めたら正しい、そんなことがあるものか。
ガリレオ・ガリレイは地動説を唱えたために、異端審問にかけられた。その結果、有罪判決を受けて幽閉されてしまう。
これは、ローマ教会がやったわけだが、じゃあ仮に、みんなの意見をきいたらどうなるか?
靴屋や徴税吏や農民が集められて「お前ら、地球は動くか?」と聞く。おそらく全員が「いや、太陽が動いて、東から登って西に沈みますよ」と答えるに違いない。
なにが正しいものか。

最近も、そんなことがあった。
事業仕分けなる政治ショーで、元タレントさんが、基礎研究のスーパーコンピュータはいらない、2位でいい、買えばいいとやった。
彼女を支持したのは国民だ。国民は、その投票に責任を問われないし、彼女が文字通り国民の代弁者だとしても、だから正しいとは限らないのだ。
しょせんこれが民主主義だよなぁ、、、そう思うより他にない。

こんなもの以外に、もっとよい方法を持てない自分たちにがっくりするほかないんである。