Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

悪魔はすぐそこに

「悪魔はすごそこに」D・M・ディヴァイン。

ことの発端は、ある大学の教授に、金銭の疑惑が出たことである。彼は、古くから大学におり、新学長をはじめとした一派からは快く思われていない。
会議が開かれ、この教授の免職が議論される。法学部の学部長は「しかし、我が校の規定では、裁判の結果有罪となったときが免職」だと主張し、いったん会議は終了する。
会議からの去り際に、この教授は「私を免職にすれば、大事な秘密を暴露する」と宣言。
ところが、この教授が殺されてしまう。
いったい、誰が、何の目的で教授を殺害したのか?
法学部の学部長は、この謎を追って推理を行う。殺害された教授が言った「大学の問題」とは、いったいどのようなスキャンダルなのか?
そして、その過程の中で、今度は図書館の中で二人目の犠牲者が出る。今度は学生であった。
学部長は、女性職員の力を借りながら、ついに秘密を解く。。。

1966年の作で、大評判になった作品であるようだ。我が国への紹介が遅れたのは、この作品がいわゆる「古典的ミステリー」の枠からはみ出すものだったためである。
つまり、翻訳ミステリーの中では「古典から現代へ、歴史的な発展過程」があるはずで、その時間軸にそってミステリーも発展してきた、という理解になっている。
ところが、本作は、まったく「現代的な」作品であるために、平たく言えば「ミステリーの歴史を解説する上で、都合の悪い作品」であった。

評価は☆☆。
読みながら引き込まれ、そしてきれいに欺される。アガサ・クリスティのようなミスリーディングを招く仕掛けの巧妙さである。確かに、現代のミステリに多用されるテクニックだ。これは、当時ずいぶん斬新な作品だっただろう。
すれっからしのミステリマニアさんでも、たいへん満足の一冊じゃないかと思う。
しかも、ただの推理の過程を追うのでなく、きちんとした人間ドラマと動機がちゃんと書き込まれる。この背景のリアルさ。これも、現代ミステリ的である。登場人物が単なる役割をもった人形に終わっていない。

さしずめ、ミステリのオーパーツだね。これを入れちゃうと、歴史の記述ができなくなる。
だけど、それだけ読み応えありってことなのだ。

おすすめである。