Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

活字が滅びるときは国が滅びるとき

大学時代の出版界に身を置く先輩と電話で昨晩、四方山話をした。
あまり意図のない世間話を、大学時代のまま、今でも話せるのは大変ありがたいことである。

で、その話の中で、思わず「なるほど」と思ったことがあった。
ほかでもない、出版不況である。
かなり有名な経済誌でも、すでに広告をとるのが難しく、経営的には今後危ういのだという。

私も、経済誌は、ウェブ購読にしてしまった。古新聞を捨てる手間もないし、安いからである。

本が売れないという話から、電車内の光景の話になった。
ちょっと前は、電車の中で漫画雑誌を読む風景が普通にみられた。ところが、今や電車内で、漫画雑誌派は少数派となった。みな、小さな携帯電話の画面を眺めている。
あの有名な「少年ジャンプ」ですら、大幅な部数減であえいでいるのだ。漫画すら売れない。たぶん、あと30年もすれば、漫画も立派な「文化」になってしまうかもしれない。つまり、政府の補助金頼りに細々と生きながらえ、好き者が支える世界である。
オタクブームといいながら、実際に裾野は広がっていないように思うのである。

私は、電車内では文庫本を読む。自転車通勤は、いかに猛者であっても、読書はできないのである(笑)。電車内で読書できるのは、実に絶好の機会なのだ。

そういう「活字派」は「中年以降ばかりだ」と先輩はいう。「これからの出版は、だから、若いヤツを相手に考えてはいけない。我々中年から高年、この層を考えるべきだ。若者は放っておけばいい」
過激な言葉であったが、しかし、全くその通りだと思わざるを得ない。

だけど、ねぇ。
「若者が、活字を読まなくなった国」に、果たしてどんな未来があるのだろうか?
小泉元首相は「我が国はホームレスでも新聞が読める」と言ったそうだが、それは間違いなく国力の一つである。「世界で尤も教育程度の高いホームレスがいる国」は、もしも事実なら、充分誇っていい事柄だろう。
だけど、さてさて。これから、どうなるだろうか?

新聞も、雑誌も、捨てることでホームレスの収入になっているし、売り物にならないものは、彼らが読みもするだろう。
だけど、ケータイ画面ばかり覗いている人だけになってしまったら、その費用が払えないホームレスは雑誌も新聞も手に入れることはできなくなる。
そして、若者は、少ない可処分所得を、ケータイに注ぎ込むのだ。
それをケータイ文化と呼べるか?
事実を指摘しておくと、今やケータイサイトで儲けた会社の業績は、みな急降下しているのだ。ケータイはコンテンツを生んでおらず、ただ単に消化しているように見える。ネタ切れで、業績が下がったのじゃないか。

若い人たちが、再び活字に親しむようになることはないんだろうと思う。
なんだか、この国の落日の象徴のような気がしてならないんだけど。