Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

悪の読書術

「悪の読書術」福田和也

だいたい、書評の本の書評をするなどというのは、非常に話がこんがらがってくるのである。
最近、身辺に色々とゴタゴタが起きており、みな自分がまいたタネであるから、非常に大変にもかかわらず鬱屈のもっていきようがない。
そんなときなので、なかなか読書もはかどらない。
ブログ更新が滞っている理由である。

さて。

本書は、いわゆる「保守派」と言われる著者が、女性誌に「社会的に見栄を張れる本として、何を読んだらいいか」という身も蓋もないテーマで連載したものをまとめたもの、らしい。
つまり「人がなんと言おうが、自分が面白いと思う本を読んだらいいいじゃないの」は悪しき戦後民主主義のもたらした悪平等思想であるから却下する、ということである。もちろん、そんなことは書いてないけど(苦笑)

なかなか興味深いのは、女流作家がやはり多く取り上げられていることである。
「これぞセレブ」の決定版は白洲正子さんだそうで、こりゃ確かにそうである。というか、まず手も足も出ませんわな。あれを「面白い」と感じてよむのには、膨大な知識と見識の基礎が必要だ。
平民風情では、まったく歯が立ちません(笑)

男性は読まないのに、女性には人気があって、しかも実力もたかい作家は江国香織さん。ふうむ、なるほど。確かに、手が伸びませんねえ。
歴史物で「司馬遼太郎以来の、パワーエリートに影響力のある塩野七生」には、まったく同感だけど、この人も手強い。司馬遼太郎よりも、遙かに男性的で、骨太なのである。マキャベリストのすごさ、みたいなものを感じるというか、甘い感傷などいっさいない。感傷も歴史的スケールで雄大、というべきか。

これは、なかなか面白い本である。
とはいえ、書評本の一冊を書評するのも、やはりなんだかクレタ島の床屋めくので、評価は避けておこう。読んでも損はないように思う。

知的な「見栄をはる」のが、実は個人の成長にとって有益である、という見解には賛成である。だって、そうでもなきゃ、オベンキョーしてみよう、などとは思わないものだから。酒でもくらって楽しく暮らしたほうが良いに決まっている。
そうして、達観した境地で、ついに人前でマンガ本を読む、、、なんて光景は「先進国の中で、公共の乗り物内でコミックを読むなんて日本だけ」という国辱批判まで至った。

ところが、である。
ついに、昨今では、そのマンガ雑誌すら売れない。電車内で、皆がケータイを見ている。とうとう、そんな時代になった。もちろん、ケータイが悪いとは言わないし、メールだって活字だろうと言われりゃ、その通りである。しかし、である。
ケータイによるコミュニケーションは、スキル的にいえば、短いセンテンスでいかに感覚を伝えるか、が全てであるように思う。早い話が「空気読む」がすべて、なのだ。

かつて、安倍前総理は「空気読めない」という理由がもっとも大きくなって、その座を追われた。
あのときの、私の中のなんとも言えない妙な不快感は、いまだに消えていないのだな。今になってみると、それは「空気読むだけがすべてになっていいのかよ?」という疑念だったと思うのである。
妙な連帯なんぞ、別にいらないのじゃないかと思うのだけど。多数につかないといけない民主主義も、なかなか苦労が多いものじゃないか。

ちなみに。
私は、やっぱり村上春樹じゃなくて、村上龍を読む女性には魅力を感じるなあ。ちょっと、話してみたいと思うじゃないか。(笑)へへえ。