Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

タックス・シェルター

「タックス・シェルター」幸田真音

主人公は、中堅証券会社の財務部長である。ある日、彼をかわいがってくれた創業経営者から、海外のタックス・ヘイブンに設立したシェルフカンパニーの管理を依頼される。
そこには、創業経営者のへそくり(この金は不正なものではない)が、蓄財されていた。老後の趣味のために貯めた金である。
そこに、会社でバブル時代に購入した絵画を売ることになり、ひょんないきさつから10億円で売るはずだったが15億円で売れてしまう。
コンプライアンスと納税の処理で悩んだ財務部長は、いったん差額の5億円を海外会社に入金。あとで申告するつもりだったが、そこで、なんと創業経営者が急死。
「不正蓄財」だと指弾されるのを恐れた財務部長は、海外会社の資金の処理を友人に相談するのだが、そこから話はどんどん深みにはまっていく。。。

国際税務を扱った小説は、まだ日本では珍しいのであるが。
正直、ちょっと題材に寄りかかりすぎた内容ではないか、と思う。
橘玲氏の著作を読んでいるレベルの読者には、ずいぶん物足りないのではないかなあ。

というわけで、評価は☆。次作に期待して。

本書の白眉は、やっぱり主人公の財務部長が「あんたは、欲しいものを欲しいと言わずに、ただ臆病にきれい事を並べているだけじゃないか」と指摘されて激高するラストにある。
この一場面だけは、実に読み応えがあった。
私は、国際税務については、一通り理解しているつもりだが、小説のあらすじ自体は、正直あまり説得力がなかったと思うが、この小説の主題は、最後のこの叫びのほうにあると思う。
自己の欲望に忠実になる度胸も勇気もない人間は、しょせん卑怯者だという指摘は、私には胸につまるものがある。

この小説の中で、国税調査官が、納税者から罵倒されたときの「呪文」が出てくる場面がある。
「85万3千円」だそうだ。つまり、国税地方税を合わせた、一人当たり教育費負担の額である。
「子供達のために、誰かがこのお金を集めなけりゃ。そう思わないとやってられない」
私は思う。私は、40過ぎて独身であり、子供はいないのである。それでも、私はこの85万3千円を負担している。たぶん、今後、この私の負担が「回収」される見込みは薄い。
「なにを言う、その子供に老後は支えられるのではないか」という批判は当たらない。私は、今の老人を支えているのだから。その負担分を返してもらうのが、現在の「世代間扶助」の原則である。つまり、教育費の問題とは関係がないのだ。
私が、教育費負担を払うのは、ただ私が「日本人」であるからに他ならない。
その理由を問えば、それはただ単に「たまたま日本に生まれたから」である。はっきり言って、私の自由意思ではない。
それでも、ちゃんと文句も言わずに納税しているのであるから、そういう国に対して、多少の感謝はしてくれても良かろう、ついてはそれが納税者への敬意になるはずだ、と思うのだ。
しかし、今の学校では、日の丸も君が代も、ダメなんだそうである。

だったら言いたいことがある。私の85万3千円を返してもらいたい、ということだ。私には、なんにもないんだから。

「納材者に対する敬意を表すには、別の方法がある」という議論もあるだろう。それならば、そういう「別の方法」でもって、自分で金を集めたらいいのである。それで納得する人々から、金を集めればいいじゃないか。
私についていえば、私が日本国に税金を払っているのは「私が日本国民だから」という理由以外にない。その日本国に敬意を払えないのは、私に敬意を払われないのと同じではないだろうか。

それならそれでいい。敬意を払って欲しいというのは、そのほかに得るものがない立場として、そう思うのである。金はとる、敬意は払われない、それじゃあんまりじゃないか、とは思わないかね。私はイヤだなあ。