Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

ウェブ進化論


みなさんご存じの、2年前の大ヒット本である。ビジネス書ランキング1位だ。
しかし、私は、仕事の本は気乗りしない(苦笑)のに加えて、生来のへそ曲がりが災いしてベストセラーは敬遠してしまうところがあり、ずっと「斜め読み」のままうっちゃらかしていた。
それを、休みの間に読んだ。きっかけは、言うまでもないが、グーグルの業績に翳りがみえ、株価も沈んできているからだ。
「いったい、何が違ったのか」そういう意地悪な疑問をもって、本書を読み直したのである。

まず、本書によって広まった「ウェブ2.0」がバズワードであるということは、今更指摘するまでもないであろう。
当然だが、ウェブ2.0が登場するためには、ウェブ1.0が存在しなければならなかった。そして、誰も「私はウェブ1.0です」などと言ったことはなかった。
日本ではウェブ2.0がもてはやされ、ネット企業の株価が高値をつけ、そしてしぼんだ。その過程を冷静にみれば、なんのことはなく、アメリカ市場の動きを輸入して「これが新しい」と騒ぐ、いつもの内容空虚の釣りでしかなかった。

ただ、一つだけ虚偽でないものがあるとしたら、それはグーグルだった。この驚異的な企業の存在そのものが、本書の価値を支えている。
この本が、しばしば「グーグル礼賛本」であると言われるのはゆえのないことではない。グーグルを除いてしまえば、本書はタダの妄想と言われかねない。

そのグーグルに関して、面白い記述を本書に見いだした。それは、旧世代(笑)がグーグルに対して「なんだ、広告屋ね」ということである。
著者は、それに対して「あちらの世界のすごさが分かっていないからだ」と糾弾する。

しかしながら、今やグーグルの業績低迷の原因が、まさにそこにある。
ある意味で、インターネットは「なんでも無料で当たり前」の文化を創り出した。サービスの有料化という課題に挑戦した企業は、皆これに敗北したと言っていい。
しかし、民放テレビと同じである「広告費頼みの事業構造」は、限界を持たざるをえない。広告費を支出する企業からしてみれば、売り上げが伸びないのに広告費だけを伸ばせるわけがない。
そして、グーグルは、世界最優秀の頭脳を集めて、いまだ広告以外の収益源を作り出すことができずにいる。
ハードウェア販売(サーバーの販売)事業にもついに進出したが、まったく取るに足らない成果しかあげていないのだ。

評価は☆。歴史的な話題をつくったという実績と、今再読して、早くも「懐かしさ」を感じさせるようになってしまったという時代の変遷を思う。

グーグルは、もしも世界政府ができるなら、それに必要なシステムは全部作ろうと思っているのだという。
そして、インターネットであまねく世界の知を検索することで、ついには「平等な世界」を作ろうとして居るのだという。

しかしながら、あえて事実を指摘する。それは、インターネットが普及している国ほど、実は経済格差が開いていくということだ。
先進国と後進国(発展途上、という欺瞞語を使いたくない)の格差を埋めるのに、より安いコストのPCを提供するというプロジェクトを国連あたりが言い出したのだが、そんなものは放っておけばどんどんメーカーが行う。
なぜかといえば、先進国で市場が飽和してきたら、それしかビジネスを拡大する方法がないからだ。
安いコストでモノをつくるためには、工場そのものを後進国につくるしかない。だから、世界的にみれば、どんどん後進国に工業が発達して、先進諸国との格差を縮めている。
しかし一方で、その先進諸国では格差が拡大する。
インターネットによる国際化の進展は、たとえば日本にいながら、海外投資をクリック一つで可能にした。金融サービスは明らかにネットによって恩恵を受けている。そして、投資に必要な様々な情報も、ネットによって手に入れることができる。
一方で、ネットを使えない人々、あるいはネット環境があっても、それを生産活動に利用できない人々との格差は開く一方なのである。

インターネットの本質は「脳の延長」だろうと思う。だから、頭脳労働者が有利に、そして個人の頭脳の差も増幅するようにできている。
インターネットを「素晴らしい」と思う人にとっては、本当に素晴らしいのだが、そうでない人にとってはますます不利な世の中になるだけなのだ。

それを、理想社会の到来のように考えたところが、そもそも本書の限界だろうと思う。
いかに人間が進歩しても、バーチャルな食べ物では腹はふくれない。
いずれ、そういうリアルな世界の反撃がはじまる、という気がしてならないのである。