Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

円周率を計算した男

「円周率を計算した男」鳴海風

江戸時代の日本の数学レベルが高かったことは有名である。
本書は、江戸時代の和算家たちを取り上げた連作短編集で、冒頭作が表題の「円周率を計算した男」建部賢弘である。
かの「算聖」関孝和の弟子であった。

建部は、関の弟子であるが、その関はまったく建部を指導しようとしない。彼らの本業は勘定役だから、今で言う財務省の人間である。
公務を黙々とこなしつつ数学を研究するのだから、言ってみれば「日曜数学愛好家」ということである。
その関が、追求しようとして追求しえなかったものが「円理」であった。
関は言う。円周率を、いくら計算しても、大して意味がない。そうではなくて、自分は円周率を求める一般公式を求めているのだ、ということである。
その抽象的な真理の追究の意味に気づいた建部に、初めて関は指導を行うのであった。

勘定役である関は、資材購入の不正を暴露したことで、相手に暗殺されかける。そこを通りがかった建部が師に助太刀し、関は危ういところを助かる。
関は、刺客達に建部いわく「へっぴり剣法」で斬りかかるのであったが、その有様に建部は苦笑する。
関は、ただ無心に役目を果たそうとしているだけなのであった。それ以外には、何も考えていない。ある意味で、数学そのもののように純粋であり、ある意味で非人間なのだった。
傷ついた師をおぶって帰宅しつつ、建部ははじめて師の関を理解するのである。
円理は、師がついに年齢のために届かない目標であり、それを建部は追究しようと決める。ここから、師と弟子は心が通い合ったのだ。
建部がオイラーよりも先に円周率の公式を発見したのは、オイラーに先立つこと実に15年であった。

評価は☆。江戸時代の和算の世界をいきいきと描いた、面白い小説である。

かつて読んだ和算の小説では、神社への算学奉納が描かれていた。
誰かが、神社に問題文を奉納する。今で言う絵馬の大きなものらしい。
それを見た人が、今度は回答を奉納する。
現在の掲示板の機能を、神社が担っていたものらしい。

本作では、さらに出版によるやりとりが描かれている。
数学の本を出版するとき、問題を巻末に出しておく。
それに対して、本を読んだ人が自分の本を出版するとき、回答を載せるのである。
これは、今で言うメーリングリストなどに近い世界である。
しかも、和算の世界は身分を問わない。殿様も、足軽も、百姓も、商人も、僧も、数学に熱中していたのである。
彼らは、数学を「実学」だと思っていたわけではない。数学はそろばんとは違うから、必ずしも実生活に役立たないものであると考えられていた。
それどころか、高等数学になればなるほど、役立たずだと思われていた。むしろ「役に立たないから」こそ、彼らは数学を尊んで熱中したのである。

やがて日本は明治になり、開国を迎えるのだが、各地で土木開発事業がさかんに行われた。そのとき、複雑な計算をこなしたのは、各地にいた和算家たちであった。
彼らの計算能力は、まったく西洋にひけをとらなかったのである。
日本が急速に近代化に成功したのは、こういう裾野の広さがあったからだ。

そういう裾野の広い教養が、今の日本でもまだ生きているだろうか。