Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

お腹召しませ

「お腹召しませ」浅田次郎

この人は、典型的な語り部である。語り部の話というのは、あまり深刻なテーマはないものである。
ま、あっても構わないのだが、なくても一向に問題ない。ただ面白ければ良いのである。
「うんうん、それで?」がずっと続くのが語り部だ。
物語は、しかしながら、いつかは終わらなければならない。そのときに思うのである。「残念!」と。

浅田次郎の短編集。
いつものように、おもしろく読ませる。
表題作は、婿が不義をして、女を連れて、あろうことか御用金を着服して遁走してしまう。
このままでは、家は取りつぶしである。すると、切れ者の上役が言う。
「すべて自分の指導不行き届きということにして、腹を切れ。そうすれば、家はなんとか助ける」
娘婿が出来損ないだったから腹を切れというのは無茶だが、侍の世界ではそういうものである。
時代は江戸末期。切腹などと言っても、実際には見聞したことなどない。
困りながら家に帰ると、娘も妻も「さ、さ。仕方がありません。いさぎよく」と言う。
友人には介錯を頼むが断られる。
そこに、老中元がやってきて、駆け落ちする婿の姿を遠望できるところに案内される。その姿を見たとき、忽然と侍は悟る。
「ばかばかしい。侍なんぞ、やめちまおう。」
お取りつぶしでいいじゃないか。やーめた、となってオシマイ。

すべて面白いのだが、なかでも秀逸なのは「江戸残念考」である。
幕末の江戸、15代将軍慶喜は大阪に出陣するも、薩長軍の前にあえなく敗退、さっさと蒸気船で江戸に逃げ帰ってくるのである。
あまりの腰抜けぶりに、侍どもはがっくりである。とはいえ、江戸旗本八万騎と呼号しているものの、実体はたかだか4千ほどの騎馬武者(の情けない子孫達)であるから、最新装備の薩長官軍1万5千にかなうはずもない。
旗本というのは、そういうものなので、話はさかのぼるが関ヶ原で家康の旗本が3万騎いたから、仮に小早川秀秋が裏切っていなかったとしても勝ち目はなかった、という説は誤りなのだ。
徳川軍の主力は秀忠隊で、家康の旗本は戦力としては淋しい。であるから、後年の大阪夏の陣で、決死の真田隊にさんざんに切り崩されたわけで、旗本は万余の数がいても本陣まで攻め込まれるのである。
これは、旗本が将軍の指揮に従う軍勢ではなく、騎馬武者一人一人の個別戦闘しかできない(しかも、その軍勢の多くは中間や槍持ち、太刀持ち、轡取りなどの非戦闘員である)。
だいたい、江戸の町で本当に8万のウマを養えるわけがないのだな。馬糞だけでどえらいことだ(苦笑)
閑話休題
そういう情けない将軍に巡り合わせた侍の挨拶が「こたびは、まことに残念にござる」「無念にござる」だったそうである。
朝、顔を合わせると「お早いことで。それにしても、残念にござる」「おぬしも早いことで。にしても無念にござる」何かあれば「残念」「無念」が口癖であったそうだ(笑)
ところが、そのうち「脱走」をするものが出てくる。ある日突然出奔し、上野の山に合流するのである。
本当に「残念無念」なら、そう言っている間に、上野にいって切り死にすべきじゃないか、そういう(もっともな)考えが出てきたわけである。
この主人の娘の許嫁も、そう思い詰めてある早朝、いとまごいにやってくる。
それを出迎えた主人公の浅田次郎左右衛門(爆笑)が、見事な騎馬武者姿で一喝「青二才めが、妻子を養ってこその武士である。」
そして「ワシが行って進ぜる、よう見ておけ」と意気揚々、町内を睥睨して上野に向かうのだった。
死ぬのなら、老いた自分で良いのであって、あたら花も実もある若者を死なせることはない、そういう覚悟のさわやかな武士の去り際を描いてみせる。

評価は☆。この人は、実に巧い人で、ハズレがない。
もちろん、リアリティも社会性もないのであるが、むしろ「ない」で勝負するスタイルである。
現実にはあり得ない姿を書くから物語だ、ロマンだという姿勢に揺るぎがない。
ただただ敬服。

小説として考えると、あまりにも時代錯誤でオールドスタイルだ。けれども、この人の小説は、オールドスタイルを楽しむところに醍醐味がある。
気楽に読んで、楽しめればよい。そういう小説があっても、いいんじゃないかな。