Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

迷妄の中に

今までも、何度もそうであったけど、未だに仕事ということでは迷妄の中にいる。

かつて、30代のはじめから奉職したベンチャー企業は、遮二無二成長を目指す社長に引っ張られ、私なども微力を尽くして株式公開した。
もっとも「公開すれば、たいがいの問題は片付く」とした社長の見通しは、まったくのアマちゃんであったのだ。
初年度、次年度と順調に業績を伸ばし、私の資産は億を超えた計算になったが、なにしろ役員陣の持ち株が少なすぎた。成長重視経営で外部資本を導入しすぎたツケもあり、ライブドア事件の影響もあって役員の自己株式の売買に非常に厳しい枠がはめられたこともある。
つまり、計算上は「億万長者」だった私だが、実態はただのサラリーマン役員以上の何者でもなかったのだ。
紙切れのお金である。

業績の下降とともにITバブルも崩壊すると、それからは早かった。我が社は、あっさりと外資ファンドに吸収された。
創業メンバーは、当然にいづらくなって辞めていかざるを得なくなった。

その社長に誘われて、再びベンチャー企業に加わったわけだが、そこに大不況。まあ、山谷は慣れっこなので、そんなことは大したことはない。
私が困ったと思ったのは、むしろ一度成功してしまった人間の弱さである。

困ったときほど、人間は「あの時だって、なんとかなった」と思うようになる。それにすがる。
一度成功してしまうと、そういう変な信念がつく。それは、当人のためにはいいだろう。しかし、会社という社員が人生を預ける場所では、個人的な過剰な自信はよくないと思われる。
少なくとも、社員にとって、社長が社員でも市場でもなく、自分の信念という理解不能なものを第一に動いていると思い始めたら、これはもううまくいかない。

たいへん困った状況だろうと思う。
しかし、私が「困った困った」というと、周囲から色々な声をかけていただける。早い話が、一緒に仕事をしようというお誘いが来るし、仕事の依頼もくる。
たいへん有り難いのである。しかし、それも困ることがある。
つまり、それを「ほら見ろ。信念は、、、」と言い出す社長がいるからである。
他人様のご厚意でどうにかなるということは、自分の実力でも信念でもない。単に、おかげ様である。
そのおかげ様がわからないようである。
あえていえば、「それは君のおかげだ」と言う。私が言いたいのは、そんな話では全くない。
しかし、彼には、それすらも理解できないのだ。

私のことを思ってくれる人たちは、もういいだろうと言う。
そうかなあ、と私も思う。
ただし、人の口ほどアテにならぬものもないのである。

だから私は、迷妄の中にいる。

流されるというのでもないし、それで生きていけるほど人生は甘くない。
考えなければいけないことは多すぎる。
蒸し暑い夏の夜に、私は煩悶せざるを得ない。

40もなかばを過ぎた人間が、やっぱり考えるのである。
いったい、今まで何をしてきたんだろうと思う。つまらぬ仕事をしてきてしまったんだろうか、と思うこともある。
そう考えると、さらにつらい。

やはり、自分が思うところに、向かっていくしかないんだろう。
そんなことの繰り返しの中に人生はある。
なかなか、つらいものであるよなあ。