Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

終わりのはじまり

ここのところ、マスメディアは「流出ビデオ」で大騒ぎである。
犯人捜しは一段落し、あとはこの人物を「憂国の士」なのか、それとも「許されざる公務員」なのか、という話で持ちきりだ。
もっとも、本人は、そういう話題になること自体を嫌悪しておられる様子である。
さもありなん。それでこそ、と思う。

私も尻馬に乗って、この件について駄文を書くことにする。
私の結論は「内部告発者は、これを可能な限り保護するべきである」というものである。
しかし、本件は、それにとどまらない事項を含んでいると思う。

この件については、いわゆる秘密の「流出」には当たらないと考える。
国家機密というためには、1977年最高裁判例がある。国家公務員法にいう秘密とは「非公知の事実であつて、実質的にもそれを秘密として保護するに値するものをいい」となっている。
今回の尖閣ビデオは、決して非公知の事実ではないし、それを秘密として保護するに値するか否かは、国会議員間でも論争があった。
よって、国家公務員法にいう「機密」の定義に当てはまるのかどうか、非常に難しいわけである。
単純に「政治に公務員が背いたから、とにかく処罰せよ」という話ではないのである。

最高裁が、このように「国家機密」について、厳密な制限を設けた理由は何か?
それは、基本的に「国家権力は、不断の監視を必要とする」からである。
考えてもみよ。政府が「政治主導」で、自由自在に自分たちに「都合が悪いこと」を機密扱いにしたら、いったいどうなるか?
言うまでもなく、暗黒時代の到来、おぞましい独裁政治の温床となるのである。
すべての権力は腐敗するし、ましてや国家権力という暴力装置を持つ最大権力であれば、より強力な監視が必要なのである。

今回の件について言えば、仙石長官のいう「公判資料の流出」という主張は通らない。
容疑者である支那漁船の船長は、すでに那覇地検の判断で釈放、帰国している。これでは事実上、起訴して公判を開くことは不可能であると、仙石長官自身も認めている。
つまり、起訴を見送られた「事件化されないと判断済みの」事案である。
起訴しないと決まっている事案の資料を、いちいち国家機密にされてはたまらない。
なぜなら、検察が起訴と不起訴を決定している以上、たとえば「代議士の息子だから、ひき逃げしても不起訴」などという事態が起こりかねないからである。
よって、検察審査会などの制度があるのだが、これだって「不断の監視」の一環なわけだ。
被疑者を釈放してしまった事案について、片っ端から国家機密にすることの不当さは、このような場合に明らかである。

今回の尖閣の事件も同様で、被疑者は既に釈放済みで帰国してしまったので、不起訴処分が確定したに等しい。いわゆる「起訴見送り」である。
であれば、この事案について、本当に不起訴でよかったのかどうか、情報を公開して国民に問うことは、国家権力に対する監視として、大いに意味のあることと言わねばならないだろう。

しかし、もう一つ、思うのだ。
今回の事件は、いわゆる機密が、一個人の手によって、いとも簡単に全世界に広がってしまうことを如実に示した。
そのことによって、国民は、実際に何が起こったのかを知ることができるし、それについて、それぞれの見解を持つことができるだろう。
そうすれば、おのずとその見解は収斂していくように思われる。

これは、すぐれた民主主義的な政府の働きそのもの、ではないか?

グーグルは、すべての情報を検索可能にし「グーグルに存在しないものは、この世に存在しないのと同義」だと言い放った。
そして、そのビジョンを、明快に「世界政府」においている。
民主主義の世界がいきつく果ては、すべての情報が公開され、誰もがすべての情報にアクセスでき、そして意見を表明する。多くの意見は、おのずと収斂するというものだ。
言い換えれば、インターネットそのものが政府であり、それ以外に政府は要らないだろう、と言っているのである。

よくよくこの機会に、私たちは考える必要がある。
我々の政府は、たとえば尖閣問題にしても、あるいは経済施策その他にしても、果たして私たちに何をしてくれただろうか?
ひょっとして、「なくても同じ」どころか「ないほうが、税金を取られないだけマシ」なのではないか。
ひょっとして、政府なんてもう「永久に解散」してしまい、インターネットでバーチャルな政府(それは、我々が考える政府とは違う形態だが)にしたほうが、よほどお金がかからなくていいのではないか。
仮に、ネット政府が無力だとしても、今までと大して変わらないのじゃないか?

今回の事件を受けて、公務員を厳しく処罰しなければ、政府が揺らぐと考える人もいると思う。
しかし、それは間違いである。
すでに、政府は揺らいでいる。今回の事件は、そのただの「始まり」に過ぎない、と私は思う。
我々に出来ることは、そのような従来の「機密」というようなものを必要としない政府をつくることだけなのではないだろうか。