Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

日本人へ リーダー論

「日本人へ リーダー論」塩野七生

民主、自民の両党とも党首選挙が終わり。
さて、そもそも現代の「リーダー」とはいかなるものか?というわけで、本書を読んだ。
とはいっても、この本は2003年から2006年まで文芸春秋に連載されたものを採録したのだから、内容の記事については旧聞に属する部分もある。
しかし、そのはずなのだが、まるで現下の情勢を見通しているかのような記述は素晴らしい。

まず、あのローマがなぜ滅んだか?という話である。
最後はもちろん、イスラム勢力に攻められて、1453年にコンスタンティノープルが陥落するわけだが、その東ローマ帝国以前にローマは滅んでいたという見解もあるようだ。
いわく、東西分裂時に滅んだとか、キリスト教勢力の前に滅んだとか、あるいは西ローマ帝国の滅亡時だとか。
それだけで議論の的になるものらしい。

このローマ衰亡について、筆者は興味深い回答を出す。
「いずれにせよ、国家が衰亡するときは、リーダーが頻繁に交代するものである」
ああ、昨今の、、、と思うなかれ。
先に記したとおり、この本は、小泉政権の長期安定時に書かれている。
ローマ帝国は、五賢帝の時代に最盛期を迎えたと考えられているのだそうだが、五賢帝のときの特徴を筆者は「それぞれ治世が長かったこと」を上げている。
長期安定政権だからこそ、社会も安定し、財政などの政治課題にも腰をすえてかかれた、というわけである。
なるほどと納得である。
少なくとも、猫の目のように毎年変わる首相のもとでは、財政再建も外交も思うようにいかないのは仕方がないと思う。

そのローマが隆盛を誇った原因に、戦争後の周辺諸国の民族に対する扱いがある。
これはアレキサンダー大王の婚姻政策と併せて書かれていることだが、つまり被征服民族をローマ帝国の一員として、議決権と代議員の席まで準備して迎えたことである。
今でいう連邦制度に似て、ローマ帝国では被征服民の代表者にも議会への参加権を認めた。
被征服民に納税義務はあったが、兵役義務はなかった。兵役はローマ市民の義務であった。
そこから先がすごいのだが、被征服民が志願兵になった場合は、彼はローマ市民権も手に入れることができたのである。
義務と権利のきちんとした対照関係が成立していたわけだ。
筆者は、そういう意味では戦争の犠牲に関して、比較的冷淡であり、理由はともあれ人類は戦争してきたのだとあっさり言う。
戦争が悪だと決まったのはごく最近のことであり、それですら場合によっては疑わしい。(筆者は、フセイン大量破壊兵器があると判定し、イラク戦争を支持している。当時の情勢では仕方がなく、フセインは査察を受け入れるべきであったと私は思う)
しかし、戦後の処理は大きくその後の行く末を分ける。

評価は☆☆。
なかなか面白く、色あせぬ魅力がある。

筆者の言う戦後処理については、私は実は、首肯できないものを感じる。
大日本帝国の朝鮮政策を思うときである。
ご存じのように、大日本帝国朝鮮民族に対して、本国と同じ法的地位を保証し、兵役義務を免除した。
志願したものの中には、出世して陸軍中将になった人もいる。
帰化した人には、大臣もいる。
いわば「ローマ方式」をとったようにも思える。
しかし、かの国は、いまに至るも日本の属州であったことを(併合したのだから、属州とまでは言えないかもしれないが)今に至るも大いに恨みとしている。
少なくとも、近代文明の導入に対して、公平にみても大日本帝国及び戦後日本の貢献は多としなければならないように思われるが、彼らは絶対に納得しないであろう。
見よ、この極東の地において、ローマ方式は敗れ去ったのだ。

これは、さらに近くをみれば、アフガン戦争においても、あるいはイラク戦争においても、同様に思える。
彼ら民族に、いかなる地位を与えようとも、彼らが満足し、帝国の政治(あるいは、国連体制が脆弱ならパックスアメリカーナ)に参加してくることはあるまい。

戦争は難しいが、戦後処理はさらに難しい。というよりも、ほとんど不可能であると私には思える。
私は、戦争はなるべく回避すべきであると考えるが、それは戦争で失うマイナスよりも、その戦後処理の面倒くささが尋常ではないからである。
独裁者によって滅びる国家、あるいは内乱によって多くの犠牲を出す民族をどうするべきか?
「放置する」という回答も、そのコストを考えたときに、大いに考慮すべきと思うのである。
今、その当面を助けたところで、どうせ後で文句を言われるに決まっている。
ならばいっそ、逃げて逃げて、逃げまくれ。

ただし、その場合、こちらが窮地に陥った場合も、誰も援助はしてくれないと思うべきである。
そんなことはないと、20年前ならば胸を張って言えたのですが、、、昨今では自信もなくなってきた。
まさに生き難い世の中であることだよなあ。