Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

なせばなる

iPS細胞の研究で、京都大学山中伸弥教授がノーベル生理学賞を受賞した。快挙であり、心からお祝いを申し上げたい。おめでとうございます。

その山中教授だが、昨日のテレビで「受精卵は、母体に戻せばかなりの確率で胎児に育つ。受精卵を使う研究はどうしても抵抗があった」と語っておられた。
おもしろいのは、バチカンもこの研究を評価しているらしいことである。バチカンの見解では、堕胎も罪としていることは有名であるが、そうすると生命の起源はどこになるのか?それはどうやら受精卵らしい。
つまり、受精卵を壊して作り出すES細胞は、殺人に準じる罪ということになる。(バチカンの見解では)

しかし、皮膚細胞に遺伝子処理をして培養するiPS細胞では、そのような倫理上の問題はないのである。

そればかりではない。
iPS細胞技術が進歩すれば、臓器移植も自分の細胞からつくることができると言われている。
当然、拒絶反応がないので、大きな福音であるが、それよりも大きなことがある。それは、臓器移植をめぐる、我々の倫理的な問題を解決することができることである。

ところで、ES細胞がなぜ有望だと言われていたのか?理由は簡単で、それまでの科学では「生物の細胞が初期にリセットされることはない」とされていたからである。育ってしまった細胞(皮膚)が、あらためて他のものになるわけがない。それは常識であった。だから、科学者は受精卵を使わなければならないことについて、科学的常識に基づいて、明快に説明してくれていたわけである。しかし、iPS細胞の出現は、この科学常識を覆した。

山中教授が、もしも「とても科学的な態度」で「受精卵を使うことは仕方がない」と考えていたならば、iPS細胞は生まれなかったであろう。

つまり、最初の出発点は「求めるか、求めないか」だと思うのである。それはトランジスタの発明だってそうだし、あるいはクロスカップリングだってそうだった。「それは無理」だとして、その無理を納得するための理屈を並べたのではない。
「なんとかならないか」がすべての始まりであった。

そういう「なんとかならないか」の繰り返しで、人類はここまで進歩してきたのだと思う。
「求めよ、さらば与えられん」

ま、上杉鷹山いわく「なせばなる」
そういうことは、意外と真理ではないでしょうかね。下手にお利口さんになるよりも「なんとかならないか」と言ってみるのも、一つの方法であるということ。
みんながみんな賢くなる(笑)必要なんてないわけだし、そういう愚行をする権利が結局「自由」ということだと思うのですよね。