Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

あやめ横丁の人々

「あやめ横丁の人々」宇江佐真理

舞台は江戸中期。主人公の慎之介は旗本の三男坊で、他家と婚約ととのい、養子にいくことになる。
ところが、その祝言の席上で、花嫁と相思相愛の仲の用人が花嫁を強奪。
慎之介はこれを追って「今戻れば、不問にしてやる」と話しかけるが、逆上する男は聞く耳をもたない。
武士が花嫁を奪われておめおめ帰ってきたでは生きていけぬ。慎之介は男を斬殺する。
花嫁は悲観し、その夜のうちに首をくくって自害。
相手の家は、一人娘を失い養子も破談になって、断絶処分となる。
この顛末のため主君を失い、逆恨みした家来たちは、慎之介を付け狙う。
命を狙われた慎之介が逃げ込んだのが「あやめ横丁」であった。
ここの住人は、何やらみな「訳あり」な人々ばかりのようである。
しかし、いつの間にやら、預けられた町家で浪人暮らしをする慎之介に、風変わりな人々の人情が通い、いつしか彼も殺人のことを深く悔いるようになる。
寺子屋で子供たちに読み書きを教えながら「どんなことがあっても、人殺しだけはいかん。堪忍するのだぞ」と教え諭すようになる。
その子供たちの親兄弟は、みなすさまじい境遇であやめ横丁にやってきていた。
そう、「あやめ横丁」の名は、花の「あやめ」にあやかったものではなくて、なんと「人をあやめた」人たちの溜り場であったことから命名されていたのである。
やがて、ついに、慎之介の潜伏が露見し、追手がやってくる。
横丁の中を稲荷に向けて逃げる慎之介。はたして。。。

この小説の中では、慎之介が世話になる町家の一人娘、伊呂波との淡い恋物語がもう一つの大きなテーマになっている。
ぶっきらぼうで直截なものいいしかできない伊呂波が、実は慎之介に惹かれている。
一方、慎之介も、いつしか伊呂波を意識しており、その恋物語は、最後にあっけない形で幕を下ろしてしまうのである。
浪花節」が好きな日本人には受け入れがたいラストかもしれないが、これは伊呂波の「初恋」の物語なのである。
だから、成就させてはならないのである。初恋を、いつまでも淡く美しい思い出にしてやろうという作者の親心であろうと思う。

評価は☆。なかなか面白く読んだ。
宇江佐真理は、いつもこういう名もなき市井の人々の生活を描いて巧みである。
時代考証は、正直にいえば甘い。
この程度の小さな商家の食事が一汁三菜だったりはしなかっただろうし、亭主が晩酌を毎日することもないであろうと思う。
しかし、これでいいのである。
作者が自身の「あとがき」に書いているように、これはファンタジーなのである。
筆で書かれた時代劇なのだ。
歴史の真実を作家の想像力によって再構成した物語なんかではない。
そういう小説が好きならば、司馬龍あたりを読めばいいのであって、この小説はそうではない。
こんな小説があって良いと私は思うし、宇江佐真理が作り出す架空の世界が私は好きである。

どれ、今晩あたりは、すっかり江戸の気分になって、サンマに大根おろしをたっぷりのっけて、燗酒を一杯やるかな。
酒飲みは、何を読んでも酒の言い訳にするのだな(苦笑)