Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

官僚を国民のために働かせる法

「官僚を国民のために働かせる法」古賀茂明。

経産省官僚にして、官房付という閑職に追いやられて1年半の待機を余儀なくされ、その後退職。
今や、もっとも有名な「改革派元官僚」であろう。

その著者が「語りおろし」で出したのがこの新書である。
彼の主張が平易に書かれている。

まず、現在の官僚について、著者の言うところ「国益のために」と思っている人は、全体の2割くらいなのだそうである。
あとは、省益のために働く。
理由は簡単で、省益のために働いた方が評価されて、出世も早いからである。

現在の官僚というのは、小さいころから学業優秀で、与えられた課題をうまくこなして高得点をあげる人生ができている。
それが省庁に入省した途端に「国益第一」の士大夫に変わるわけがないのである。
で、周囲をみて、上役の御覚えめでたくなるように、その優秀な頭脳を生かすわけだ。
そうすると、政治家が決めた法案が見事に「等」とか「も考慮し」とかの官僚用語が入り込み、骨抜きになる仕組みである。
何か新しい政策でも打ち出すと「では、さっそく実行部隊を」「所管組織を」となる。
いくらでも官僚は太るのである。
だから福島の復興予算がどこに使われても「等」だからオッケーだし、民間で6兆円の復興予算はなぜか16兆円に膨れ上がる。
過去に原発政策が推進一辺倒だったのも、驚くばかりの特殊法人の数と天下り官僚確保のためだという。
経産省内部でも、原発に傾斜しすぎる政策に疑問符がないことはなかったのだが、それらの議論はすべて封鎖されてしまった。

民主党は、これを変えると公約して選挙に勝った。
しかし、彼らが採った政策は、官僚の代わりに政治家が働く、というものだった。
しょせん、官僚と同じフィールドで戦えば、政治家は「出来の悪い新人」以上のものではない。
官僚たちは「それ見たことか」と心中で嘲笑していたという。
鳩山政権が倒れ、民主党は官僚に完全降伏した。
古賀氏の経産省でも、海江田氏、鉢呂氏、枝野氏、歴代の経産大臣は、誰もこの有名な「改革派」を起用しなかったのである。
とんでもない嘘つき政権だったことは、みなさんご存知のとおり。

さて、この官僚組織を、どうすれば変えられるのか。
著者は、まずは役人の身分保障をなくせ、という。仕事ができない人でも出世、致命的に仕事ができない人が上層部に2割は確実にいるが、それらの人が居座る限りは優秀な若手は登用できない。
しかも、同期入社の待遇はほぼ同じなので、誰かが次官になると、同期は一斉にやめて、関連の特殊法人に天下る。
給与と退職金を含めて、本庁に残った次官と同じにしなくてはならないからだ。
そして、彼らの待遇を決める人事院自体が、実は役人で構成されているという「お手盛り万能」状態を変えなければ変わらないと著者は指摘する。

まったく正論であろう。
評価は☆☆。

ただ、私は思うのだが。
過去のいかなる国であれ、近代国家で官僚がはびこるのは不可避の現象であるように思われる。
二大政党の交代によって、上級官僚がすべて入れ替わる米国においてすら、フーバー長官のような怪物がいた。
ソ連中共はいわずもがな。
日本だけが例外になることは、きわめて難しいのではないか。

なので、私は、そもそも政府の役割を小さくする以外に、対処する方法がないように思う。
古賀氏の主張とは異なり、私は官僚は「能力が低い人」がやるべき仕事、というふうになればよいと思っている。
優秀な人は、民間でおおいに活躍するべし。
そのほうが、国益になるのではないかなあ、と思う。

人は、誰しも自分に利益になるようにふるまうし、それをダメだということはできない。
義務や使命感では、宗教的情熱であって、それを信用しない人にとっては何のメリットもない。

古賀氏は、周知のようにTPP賛成派だ。
色々な理由はあるけれども、その根本は、いわゆる既得権益部分がTPPに抵触しているからだろう。
外圧なくては変革できない、との見切りが、古賀氏にはあるのではないか。
その気持ちは、私も充分に共有できる。
変わるリスクはあるのだが、変わらないことも大きなリスクなのである。問題は、やっぱり意志なんでしょうねえ。