Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

アメリカはなぜ嫌われるのか

アメリカはなぜ嫌われるのか」桜井哲夫

アメリカが嫌い、というのは、だいたいリベラリストと相場が決まっている。
ところが、我が国では、面白いことに極右もアメリカが嫌いである。
極左も極右もアメリカが嫌い(笑)いっそ、仲良くしたらどうだろう(苦笑)
ま、それはともかく。
一般人には「どうしてアメリカが嫌われるのか」さっぱりわからないところがあるのも事実。
で、そのような経緯を、平易に解説してくれるのを期待して本書を読んだ。

反米の歴史は古くて、本書では冒頭からユダヤ人のアドルノを取りあげる。
アドルノは言う。
アメリカには潤いがない、街路がない、道は物理的な道であり、自然とは画然と隔てられている。人工的なその感覚についていけないのである。
ヨーロッパでは、街路は逍遥するところであり、そこは人間と自然の境界でもある。
林があり、カフェがある。
アメリカにはカフェすらない。あるのはファーストフード店だけである。
シカゴやニューヨークのような大都会ですら、いわゆる「普通の喫茶店」が数件しか成立しないのである。
欧州の価値観にアメリカはそぐわない、とアドルノは考える。
彼は、ユダヤ人としてアメリカに逃げてきたのだが、結局、ふたたび欧州に帰っていくのである。

日本では、まず小田実の「なんでも見てやろう」を取り上げる。
かつての1ドル360円時代、海外へいくことは自由にできることではなかった。
それを、フルブライト留学制度を使い、世界各地を放浪旅行して帰ってきた小田にとって、アメリカは、世界の中の一国にすぎない。
はじめて日本人の欧米コンプレックスがなくなる期待が現れた瞬間だった。
一方で、同年代に江藤淳がいる。
江藤は、「閉ざされた言語空間」で指摘したとおり、アメリカによって日本人のアイデンティティが歪められた、と認識している。
そこから、どのように考えても、脱することができなかった。
思考の袋小路に入ってしまった江藤は自殺する。

最後に著者は、日本がアメリカと対等の地位を得たければ、他のアジア諸国と欧州のような同盟を結ぶべきだ、そのためには過去の清算をすべきだと主張する。


評価は☆。

アドルノの指摘はなるほど、と思う。しかし残念であるが、冒頭の私の疑問に対する回答はなかったように思う。
ただし、巻末の取ってつけたような提案を除いて、特にスタンスとして反米だとか親米だとかは感じなかった。
そういう意味では、かなり中立の立場で記述されているように思う。

欧州と日本の置かれた立場を同一視するのはかなり違う。
欧州は、基本的に大陸国家で、国境線はたゆまぬ紛争の歴史の結果、確定したものである。
それぞれの国境地域では、自然に人が混じり合い、文化も共通点が多い。

一方、日本と他のアジア諸国はかなり違う。
日本と支那の文明は、同じ漢字圏といいつつ、まったく異なる。
食べ物をみればわかるが、支那は炎と油の文化、日本は水と麹の文化である。
支那は石と塗柱の文化、日本は木と紙の文化だ。
さらに東南アジアや朝鮮とも差異が多い。
欧州のように、アルファベットと小麦、肉食の文化とはいえないのである。

もう一ついえば、支那大陸国家、日本は海洋国家。ちなみに朝鮮は半島国家。
これも全然違う。

生地学的にも文化的にも異なるのに、地理的位置が近いだけで欧州のような「ゆるやかな同盟」が成立するわけではない。
話が飛躍しすぎである。

アメリカの問題点は、つまりは「押し付けがましさ」に尽きるのではないか、と思う。
で、それはいやだ、という人が反発するわけだ。
ただし、世界がだからといって、強者を必要としていないわけではない。力が必要である、というのは、まぎれもない現実の話なのである。

強者が、常に正義感と義侠心に富み、けしておごらず、みんなに慕われ尊敬されるほど素晴らしくないといけない、というのは水戸黄門の見すぎである。
実際には、強者は単に力が強いから強者なのである。
正義は、力ある者を正義としたほうが、より実現可能である。

これからの世界は、支那が強国として伸びていき、アメリカは没落する、だから一強体制がやぶれ、複数国家(すくなくとも米中二強)による多極化時代を迎える、という予測がある。
本当だろうか?
仮に本当だとして、そこで支那にシッポを振るのでは、アメリカと変わらない(むしろ悪い?)ではなかろうか。
または、その多極化時代に、日本は本当に独立した国家としての地位を築けるのか?

私個人の考えを言えば、以上の質問にはすべてノーである。
いつでも、世の中で思うようになることはない。そう思わせるのは、詐欺師がいうことだ。
現実は、つねに妥協の連続である。
論理的にはおかしくても、とりあえず妥協することを「政治的解決」と呼んだりする。

アメリカが政治的になってくれれば、それでいいのだろう。しかし、現実のアメリカは、結構理想主義なのだ。
私は、アメリカが理想を棄てたからではなく、むしろ理想を持ちすぎていることが、そもそも不幸の始まりではないかと思っている。