Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

密漁者は射殺

象の密漁に悩むタンザニアで、法律を改正し、密猟者を発見したらただちに射殺できるようにするらしい。
今までの法律はゆるすぎたのだという。

密猟者は、たいがい貧困からこのビジネスに手を染めて、バックには金持ちがついている。
彼らは、たいがい、最新鋭の武器で武装している。
そして、運悪く!捕まってしまったときでも、その金持ちが講じる法的措置によって、それほど大きな罰を受けなくても済むのだという。
おそらく、料金の高い弁護士がついたり、高額な保釈金が払われたりするのだろう。

当然、批判はあるようである。
そもそも、人間の命と象の命と、どちらが大事なのか?とか。
本当の悪は、象牙を買っている連中だ、とか。
貧困が原因なのだ、とか。

しかし、これに対して、さらに批判もある。

タンザニアの原住民にとっては、観光以外に、まともな産業はない。
象がいるから客を呼べるのであって、象は原住民の共有財産なのだ。
もしも象が激減したら、彼らは生活の道を失う。多くの住民が飢えて死ぬ事態になりかねない。
密猟者から彼らの生活を守るため、非常手段に訴えることはやむを得ないのだ、と。

それぞれの主張に、もっともなところはあると思う。

さらに、思うのだが。
密猟者を射殺する政策に、私は必ずしも反対するものではないが、もしも象が鯨になったらどうするか?
ホエールウォッチングで儲けている漁民にとって、鯨は観光資源である。
その場合、日本漁船がきたら撃沈すると言われて、同じ論理で日本漁船を非難できるか?

幸い、鯨は減っていない。
むしろ、増えている。
だから、上述の論理は成立しないのである。
成立しなくてほっとした。

論理の整合性と、日本人たることが両立しない場合に、どちらを選ぶべきか。
日本人たることを選べば、気分は良いが、隣国の愛国主義者をみていると、公正な論理がわからないというのは阿呆を通り越して、哀れであると思う。
そんな哀れに自分はなりたくない、とも思うのである。

ゆえに、世の中は難しい。
馬齢を重ねてわかったことは、どうもそれだけのようである、、、などと言えば、さらに馬に失礼かもしれませんなあ。。。