Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

カリフォルニアガール

「カリフォルニア・ガール」T・ジェファーソン・パーカー。

この著者の本は、以前に「サイレント・ジョー」を読んだ。
顔に硫酸をかけられ、無口な性格となった主人公が、自らの過去と向き合う。余韻の深いハードボイルドであった。

本書は、またもや衝撃的な場面で始まる。
齢60を過ぎた兄弟が話し合う。
「なあ、俺たちは間違っていたんだ」
そこから、物語は一気に過去へフラッシュバックするのだ。

ベッカー家の四人兄弟(うち三男はベトナム戦争で戦死し3名となる)は、その若い日に、ならず者連中と決闘することになる。
その相手の妹がジャニルだった。彼女の美しさは、幼いときから際立っていた。

ジャニルは一時、非行に走るが、やがて更生し、地元のミスにも選ばれる。
明るい未来が待ち受けていると思われた矢先、彼女はオレンジ工場で、頭部が切断された姿で発見される。
明らかに性的暴力を受けた跡があり、血液型の異なる二人の男の体液が残っていた。
二男で保安官のニックは、この事件で初めて殺人事件の捜査指揮をとることになる。
現場に残っていた毛深い男の浮浪者が直ちに取り押さえられ、いったんは事件を自白。
しかし、ニックの兄、デイヴィッド牧師との話し合いで「ほんとはやっていない」と吐露。
ニックは、真犯人を追って違法捜査(国境を越えてメキシコへ入国し、犯人をつかまえて帰国)。
犯人自ら帰国したことにして、逮捕する。
その際の銃撃戦でニックは負傷、いったんは心停止するが、兄デイヴィッドのおかげか、神の奇跡か、彼は蘇生する。
すべての事実を知りながら、末弟の新聞記者アンディはでっちあげ事実の新聞記事を書いた。

それから幾年も過ぎて。
60歳を過ぎたニックとアンディは話し合う。
「なあ、俺たちは間違っていたんだ」
アンディは、地元代議士の秘書から、決定的な証言を引き出した。
ニックは、被害者遺体の指を冷凍保存してあることを思い出す。今なら、DNA鑑定で、真実がわかるはずだ。
無実の男(もっとも、清廉潔白には程遠い人物)を刑務所に入れている以上、動かなければならないと考えたニックとアンディは、行動を開始する。
そして、ついに衝撃の結末が明らかになる。。。


一読、これはすごい小説である。
そう思うのも、私自身の年齢のせいもあるだろうと思う。
若いころ、たとえば30歳くらいのころの過ちがあるとする。
それは、遠い過去の記憶のように思える。
しかし、実は、その傷は、決して治ることはないのである。
いくつになっても、たとえ60を過ぎても、その傷は新しいままだ。
そして、もしも可能ならば、なんとか取り返したいと願うのである。
そんな人間の心理を、見事に描いた作品である。

評価は☆☆。
さすが、アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞作品、といったところか。

作中に、アメリカングラフィティさながらに、現代アメリカ史が挿入される。
ソ連の核実験成功、ケネディ暗殺、ベトナム戦争、サイケブーム、ロックミュージックとマリファナ、愛と平和。。。
それと共に、アメリカの地方都市は大きく変遷した。
今や、アメリカを支えた農作物のオレンジもない。輸入果物は、アメリカ自身の農業を変えてしまった。
わずかばかりの工場と、そこに働く多くの外国人、フランチャイズチェーン店ばかりの街並。
かつて、問題ばかりだと罵倒されたアメリカですら、今では懐かしいということだろう。

過ぎた日々は懐かしく、取り返せないものだが、もしも取り返せるのなら、それを逡巡する理由はない。

一昨年の「節電の夏」に、私が思い出したのは、やっぱり自分の学生時代だった。
その頃の東京は、クーラーがあるのは国電だけで、地下鉄はなかった。駅だけが冷房があって、しかし、それもわずかだった。
国電のクーラーも控えめで、かわりに窓を開けて走っている車両も多かった。
みんな、携帯電話がなかったから、待ち合わせは大変であった。
だから山下達郎の「クリスマス・イブ」が売れたのだ。
今なら、携帯で「今どこ?」でオシマイ。それじゃあ歌にならんわなあ。
不便であっても、その時はそれが当たり前だから、不便じゃなかった。

過ぎし日々は、常に、懐かしい。それが、仮に苦いものがあった時でさえ、ということか。