Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

器が小さい

官房長官は、韓国が支那で「安重根の石碑」を建立しようとしていることについて「安重根は犯罪者であり、日韓関係に悪影響を及ぼす」と言明したそうである。

まことに、もっともである。
安重根はテロリストであり、法に背くテロルを肯定することはできない。彼は、間違いなく犯罪者である。

しかしながら、この理屈を韓国に言っても、彼らはわかるまい。
韓国にとって、安重根は救国のため、やむにやまざる覚悟で行動した英雄である、ということである。

これは、当たり前の話である。
立場が違うからである。
モンゴルにとって、ジンギスカンは今でも大英雄であるが、彼に征服された国にとってはとんでもない侵略者である。シーザーしかり、アレクサンダー大王しかり、ナポレオンしかり。
だからといって、いまだにエジプトがシーザーを非難したり、トルコがアレクサンダーを1000年恨んだり、イタリアがナポレオンを極悪人呼ばわりはしない。
なぜって、国が違うからである。
国が違えば、立場が異なるのであり、それは当然のこと。
よって、安重根が日本では犯罪者であり、韓国では英雄であっても、別段不思議はない。

ただ、韓国の問題は、この「当然のこと」が理解できないことにある。
日本人も、安重根を英雄視しなくては、反省したことにならない、というのである。
これは、まったく特異な主張である。
国が違えば立場が違う、ということが想像できないのであろう。

実は、日本人の間でも、安重根は人気がないわけではないのだ。

テロルという方法論以外にも、彼が伊藤博文を殺害したために、かえって日韓併合を進める結果となってしまい、愚行ではないかという批判がある。
しかし、伝統右翼は、安重根の裁判中や処刑前の堂々たる態度をみ、その憂国の情を慮って「人物の器の大なる」を評価してきたということがある。
物事は結果ではなく、その心情こそ価値がある、というのが、大アジア主義者たる伝統右翼の価値観だからであった。
利で判断するのは商人のやることであり、武士ではない、というわけだ。
だから、戦後も、右翼国士は韓国に甘かったのである。
もちろん、そこには日韓政治の利権も絡んでいたのだが。。。

ところが、かの国は、さような事情をもまったく斟酌せず、ただ国内政治のため、斜陽の経済から目をそむけさせ大統領の支持率を維持せんがため、まさに目先の利のために「反日」をあおる。

まことに、なげかわしき有様である。

安重根を国士と讃えるのは、一向に構わん。
反対はしない。
むしろ、そういう考えもあるであろう、と理解しているつもりだ。

しかし、今の半島のありさまは、度を越している。世界の誰も(支那以外は)同感してくれないであろう。
まったく器量の小さいことであるよなあ。