これは、当たり前の話である。
立場が違うからである。
モンゴルにとって、ジンギスカンは今でも大英雄であるが、彼に征服された国にとってはとんでもない侵略者である。シーザーしかり、アレクサンダー大王しかり、ナポレオンしかり。
だからといって、いまだにエジプトがシーザーを非難したり、トルコがアレクサンダーを1000年恨んだり、イタリアがナポレオンを極悪人呼ばわりはしない。
なぜって、国が違うからである。
国が違えば、立場が異なるのであり、それは当然のこと。
よって、安重根が日本では犯罪者であり、韓国では英雄であっても、別段不思議はない。
立場が違うからである。
モンゴルにとって、ジンギスカンは今でも大英雄であるが、彼に征服された国にとってはとんでもない侵略者である。シーザーしかり、アレクサンダー大王しかり、ナポレオンしかり。
だからといって、いまだにエジプトがシーザーを非難したり、トルコがアレクサンダーを1000年恨んだり、イタリアがナポレオンを極悪人呼ばわりはしない。
なぜって、国が違うからである。
国が違えば、立場が異なるのであり、それは当然のこと。
よって、安重根が日本では犯罪者であり、韓国では英雄であっても、別段不思議はない。
ただ、韓国の問題は、この「当然のこと」が理解できないことにある。
日本人も、安重根を英雄視しなくては、反省したことにならない、というのである。
これは、まったく特異な主張である。
国が違えば立場が違う、ということが想像できないのであろう。
日本人も、安重根を英雄視しなくては、反省したことにならない、というのである。
これは、まったく特異な主張である。
国が違えば立場が違う、ということが想像できないのであろう。
実は、日本人の間でも、安重根は人気がないわけではないのだ。
テロルという方法論以外にも、彼が伊藤博文を殺害したために、かえって日韓併合を進める結果となってしまい、愚行ではないかという批判がある。
しかし、伝統右翼は、安重根の裁判中や処刑前の堂々たる態度をみ、その憂国の情を慮って「人物の器の大なる」を評価してきたということがある。
物事は結果ではなく、その心情こそ価値がある、というのが、大アジア主義者たる伝統右翼の価値観だからであった。
利で判断するのは商人のやることであり、武士ではない、というわけだ。
だから、戦後も、右翼国士は韓国に甘かったのである。
もちろん、そこには日韓政治の利権も絡んでいたのだが。。。
しかし、伝統右翼は、安重根の裁判中や処刑前の堂々たる態度をみ、その憂国の情を慮って「人物の器の大なる」を評価してきたということがある。
物事は結果ではなく、その心情こそ価値がある、というのが、大アジア主義者たる伝統右翼の価値観だからであった。
利で判断するのは商人のやることであり、武士ではない、というわけだ。
だから、戦後も、右翼国士は韓国に甘かったのである。
もちろん、そこには日韓政治の利権も絡んでいたのだが。。。
ところが、かの国は、さような事情をもまったく斟酌せず、ただ国内政治のため、斜陽の経済から目をそむけさせ大統領の支持率を維持せんがため、まさに目先の利のために「反日」をあおる。
まことに、なげかわしき有様である。