Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

五代友厚

五代友厚高橋直樹。副題は「蒼海を越えた異端児」。

経済界では「東の渋沢、西の五代」と並び称された、明治時代の大阪経済の立役者である。
その割に知名度が低かったが、NHKの朝ドラ「あさが来た」で人気が出たらしい。
本書も、そのブームにあやかって出版されたものであろう。

五代は薩摩の士族の出であるが、薩英戦争で英軍の捕虜になり、薩摩の機密をペラペラとしゃべってしまう。
英軍の装備を見て、とても勝てないと見切ったこともあり、また尊皇攘夷を唱える連中が大嫌いだったことにもよる。
薩摩の士族は、五代を裏切り者として生命を狙うのであるが、同じく尊皇攘夷から開国派に寝返った男を人が「変節」と呼ぶのをきいて、五代はこういう。
「変節する奴は、物事が見えるということよ」
国家の大事を決めるときに、変節ごとき個人の小さな徳にこだわっているようでは、とてもではないが、国を誤るもとである。
そんなことにこだわるのは「ケツの穴が小さい」というわけである。
こういうのを、古来、君子豹変という。今では悪い意味に解釈する人が多いのであるが、もともとは
「君子豹変、大人虎変」であり、間違った考えはすぐに改めるのは賢者、牢固として古い考えにしがみつくのは愚者だということである。易経の言葉である。

さて五代は、薩英戦争で英国の信頼を勝ち取り、ジャーディン・マセソン商会のグラバーと組んで武器の調達で大もうけする。
最初は、グラバーには資本がない。
そこで、五代は、当時の日本と西洋の金銀の交換比率が異なることを説明し、日本の金を上海にもっていかせて巨額の利益を得て、それを資本にするのである。
薩摩藩は、薩英戦争でまったく英国に歯が立たないのがわかったので、開国派に藩論が変化しており、海外製の武器を大量に必要にしていた。
さらに、その後の戊辰戦争を見据えて、五代は自ら上海に渡り、あやしげなベルギー貴族(今で言うマフィア)から最新式のナポレオン砲を大量に買い付ける。
これが、薩長軍が幕府軍に打ち勝つ要因になった。
その費用は借財でまかなうのであるが、どうやって返済しよう?と悩む仲間に対して「そんなものは新政府に返させろ」と言い放つ。
そのときは、新政府はまだ成立していないわけである。戊辰戦争の前だから。
でも、五代に言わせれば「戦争は、敵より優れた武器をたくさん揃えたほうが勝つ」のが当然であるので、薩長の勝ちは決まっているのである。
フランスが幕府軍に肩入れしてきたので危うい場面もあったのだが、五代はいち早くフランス公使の更迭を知っていたので、最終的な勝利を確信することができた。

新政府発足後、五代は大阪経済の復興に邁進。
自ら染料会社、鉱山経営を行うとともに、大阪商工会議所を立ち上げる。
そして、北海道開拓に乗り出そうとするが、払い下げ価格が法外に安いことを福沢諭吉に指弾されて窮地に陥る。
実際は、政府は北海道開拓にカネがかかりすぎるので(赤字であった)五代に押しつけたかったのである。
井上馨を中心とする政財界の暗闘に巻き込まれた五代は、やがて心身ともに疲労し、若くして没する。。。


なかなか面白い。
明治維新という激変の世の中において、確かな見通しをもって次々と事業を立ち上げていく五代は、現代ではなかなか見られないタイプの男である。
しいていえば、ソフトバンク孫正義氏に似てるかな。
評価は☆である。

世の中が激変するときは、単に頭脳が優秀な人ではダメなのである。
もっと腹が据わった、どちらかといえば海賊、山賊の類がよい。
やはりこの時代、横浜にガス灯を付けて新橋まで蒸気機関車を走らせた高島嘉右衛門も、小伝馬町の牢に投獄されていた犯罪者であった。
そういう人物が、突如として世の中に躍り出て、なにやらわけのわからん手法で財をなし、インフラまで作ってしまうのである。
世の中が激変するとき、一種の無法地帯的なゾーンが出現する。
ルールも規制もない世界で、そういう男達が思うさま、その力量を発揮するのであろう。
そういえば、孫さんも「通信自由化」の大波があったからこそ、力量を発揮したのだと言える。

最近話題のトランプ氏のTPP放棄、輸出入の規制強化の方向性などを見ていると、ことさらにアメリカの没落のはじまりを感じる。
まあ、移民は別である。人間は、宗教とか慣習とか、とかく「変えたくない」ものを持ち込む。それがトラブルのもとになる。
しかし、モノや技術は別だ。ダメなモノは淘汰され、良いものがどんどん変化しながら売れていく。いくらでも変化するのである。
その流れを止めてしまうと、お行儀は良いが、肝心要のときにさっぱり役に立たない国になってしまうのではないか、と思うのである。
規制に守られて、その中でヌクヌクと己の禄を食む。そのどこに、生き馬の目を抜くバイタリティや、逆境をチャンスに変えてしまう気概が生まれるはずがあるか。
外資に食われる、という発想になった時点で、すでに負けている。
食われるくらいなら、むしろ食わせてやれ、そこでうまく利用し太らせて食ってしまえ、というような考えが必要だと思うのである。
そういうめちゃくちゃ、自分勝手、ルール無用の山賊や海賊が跳梁跋扈する世の中のほうが、なにやら楽しい気がするんだがなあ。
そういう人物は、おそらく、よってたかって非難され、潰されるのが今の日本であろうか。
そうだとしたら、ずいぶん小さいねえ。