Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

函館売ります

「函館売ります」富樫倫太郎。副題「土方歳三蝦夷血風録」。

函館の幕末、ガルトネル開墾事件に題材をとった小説である。
プロシアのガルトネル兄弟が、北海道で300万坪の土地を99年間借用して開墾を行っていた事件である。

舞台は幕末時代。
榎本武揚率いる幕府軍は、最新鋭の軍艦「開陽丸」をはじめとする艦隊で函館に撤退してくる。
ここに居を定め、朝廷には形ばかりの開墾願いを出す。
実質、蝦夷を幕府型の拠点にしようとしたのである。

ここに、ロシアの公使のユーリと、プロシャ人のガルトネル兄弟が登場してくる。
ユーリは、なんとか北海道を植民地にできないかと考えている。
新政府軍と幕府の戦いが長引く間に、上手く立ち回って、ことを進める気でいたものの、案に相違して戊辰戦争があっという間に終わってしまい、がっかりしている。
そこに、ガルトネル兄弟が、幕府から新政府に政権が変わったことを奇貨として、どさくさまぎれに農地の借地を何倍にも増やしたことを聞きつける。
その新政府が、再びこの函館の地では、幕府の臨時政府になっている。
ここで、幕府臨時政府に「前の新政府との約束だ」とでっちあげて、7万坪を借りている農地を300万坪に拡大しよう、というのがユーリの提案だった。
もちろん、その提案には裏がある。
300万坪の借地契約には、第三者への譲渡を可能にするように条項をつける。
そして、その土地をロシアが譲り受けてしまう。
あとは、その土地に軍隊を進駐させ、政府相手にごねまくり、難癖をつけて借地の拡大や期限の延長を行って、ついには植民地にしてしまえばよい。
このプロシャを代理人としたロシアによる植民地獲得は、清国でもさんざんうまくやった手であり、同じ手を使おうというのである。
もちろん、借地料金は支払う。6万両という大金である。

榎本は、この条約の危険性を理解はしていた。
しかし、蝦夷臨時政府には、まったくカネがない。
無理に函館市民や港湾から税金を取り立てて、市民の恨みをかっている。
兵士への給料も払えない。
そこに6万両の申し出である。ついに、乗り気になる。

ここで、函館奉行並の地位にあった土方が立ち上がる。
「倒幕も佐幕もない。日本人同士が争っているのなら良い。しかし、外国人に土地を売り渡す。これは、文字通り売国奴ではござらぬか」
土方は、幕府指導者と話し合いをするが、らちがあかない。

ついに土方は、最後の手段をとる。
あろうことか、反幕府レジスタンスの指揮をとり、ロシアから幕軍に支払われる6万両の強奪計画を実行するのである。
わずか手兵50名を率いた土方は、あっと驚く奇策を立てる。。。

息をもつかせぬ面白さ、である。
題材もよく、土方歳三を持ち上げてヒーローに仕立て上げるさまは、なかなかサマになっている。
これは☆☆ですなあ。

私は寡聞にして知らなかったのだが、このガルトネル事件は実際にあったことである。
プロシャの後ろにロシアがついていたかどうか、今となっては判然としないが、そう想像してもバチはあたるまい。
そういう「いかにも」と思わせるところが、なかなか良く書けていると思う。


アジア諸国がみな植民地にされる中、どうして日本だけが無事だったのか?
一つは、日本の武力が強かったことである。
幕末に至っても火縄銃を使っていたくらいだから、装備においては時代遅れであった。
しかし、武士という武装階級が支配していたこともあり、軍事力は強いと見られていた。
戊辰戦争にもあったし、のちの太平洋戦争でもあったが、夜間抜刀隊が勇敢に切り込んでくるのでは、外国人の軍隊も安眠はできない理屈である。

そして、もう一つは、日本の地理である。
竹村公太郎氏の著作に詳しいのだが、幕末の日本は地震はあるわ台風はあるわ火山は噴火するわ、とにかく大変な有様だったのだ。
その上、外国人が欲しがる資源に乏しい。
金があったが、すでに掘り尽くされており、市中の金はいくらでも貿易で(不平等な交換比率だから)持ち出せる。
わざわざ、植民地にする必要が無かったのである。

例外は戦略的な地理条件で、極東に不凍港が欲しいロシアにとっては、喉から手が出るのが北海道であった。
これは結局、のちの日露戦争の遠因にまでつながる話である。

最後に日本は、列強相手に大東亜戦争を行い、これに敗れてoccupired japanになってしまう。
ついに、国を失った(亡国)わけである。
今日、復活できたのは、戦後の吉田茂をはじめとする政治家の粘り強い交渉の賜に他ならない。
そう考えると、負けを覚悟で戦争をした指導者よりも、亡国にありながら、日本を復活させた指導者のほうが、その功において、遙かに上と思うわけである。
かような考えがあるから、私は2月11日の建国記念日のお祝いはおざなりなのである。
SF条約が発効した4月28日こそ、我が国が再び独立を取り戻した一大祝日ではないか、と思うのだが、どうだろうか。