Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

違和感の正体

「違和感の正体」先崎彰容。

最近の世相はオカシイと感じているのだが、ナニがどうオカシイのか?を言葉にすることは難しい。
あえていえば、どうしてみんな「正しい」ことを言いたがるのか、なんでそんなに躍起になるのか、自分の正しさを主張するために他人を貶めることにチマナコになるのか?
どうも、日本人はこんな人間じゃなかったよなあ、と思いつつ、違和感を抑えきれずにいた。
それが、本書を読んで「なるほど」と納得できたのである。
結論から言えば、今年読んだ新書のベストだ。
新書も粗製乱造、もう終わったなあと思っていたのだが、とんでもない。こんな本物があったのか。嬉しくてたまらんなあ。

著者は、現代を「ものさし不在」で「処方箋を焦る社会」だと定義する。まったくそのとおりだ!
で、簡単な「思いつき」を「思想」だと勘違いして、さも特効薬でもあるかのように「処方箋」を提示したがる。ほら、この処方でいけば、たちまちすべて全快します、というわけである。
ガマの油売りじゃあるまいし、現実社会の種々な問題が「ほれ御覧じろ、この通り」に解決してたまるもんか。
その「思いつき」に飛びつく前に、まずしっかりと現在を「診察」することが大事であり、そのためには知の先達たちの力を借りようではないか、著者は呼びかける。
過去の知の巨人たちの「診察」は、現代とその当時とまったく同じでないだろうけど、しかし、一つの基準点にはなるだろう、と。
どこが同じで、どこが違うのかを見極めれば、おのずと診断もそう「大間違い」はせず、それなりに有効な処方もできようものではないか。
これぞ読書と思索の普遍の価値というものである。

著者が取り上げるテーマは幅広く、まさに「違和感」を感じるテーマが目白押しだ。
安保法案に反対するデモの中で、高名な知識人が「安倍をたたきってやる!」と叫ぶのを見て、著者は言う。
お前の何十年かけた読書と思索の結果が、その発言なのか。
安倍は馬鹿だというお前の言葉のどこに知性がある?それは、お前が批判する安倍と同じ、闇雲に他社を貶める発言にほかならない。
どうして、このデモの参加者は、この知識人に文句を言わないのか?
お前の命をかけた読書と思索の結果が、そんな浅薄な言葉であってよいはずがない、今すぐにその深い思索をここで開陳せよ、とそう言わないのか。

実際には、言わないのだ。
デモ参加者は、彼らが批判する対象と同じく、知性がない行動をしている。
なお「反知性主義」という言葉の意味を、私は本書で初めて知った。単にインテリに対する反発だと思いこんでいたのだが、とんでもなかった。
反知性主義そのものが、それ自体、深い知性に基づく運動であったのである。それは、既存権力になってしまった知に対して、自らが獲得した知というもので対抗することを言うようだ。
私はてっきり、反知性主義というのは粗暴なバカがインテリに向けて駄々をこねる運動かと勘違いしていた。お恥ずかしい次第である。


その他、沖縄問題、差別、教育、閉塞感、震災といった今日的で幅広いテーマを考察している。
はっきりいって、ひとつとして頷けなかったものはない。


評価は☆☆☆である。

今年に、この本を読めてよかった。
2016年の出版のようであるから、まだテーマは一向に古びておらず、すべて現在も進行形といってよかろうと思う。
ぜひとも一読をすすめる価値ある一冊かと思う。

本書の中で江藤淳のことにふれている。
江藤淳といえば「閉ざされた言語空間」で、戦後のGHQによる検閲によって、いかに日本の言論空間が歪んでしまったかを克明に指摘してみせた文学者である。
しかし、本書で著者は、江藤淳が対峙したのは戦後の検閲だけではなくて、実は「アメリカ」そのものなのだ、と指摘する。
なぜそう言えるのか。著者は江藤淳の逸話を引きながら、丁寧に説明してくれている。
ああ、そうか、と深く納得した。
こうでなくては、ならんなあ、と反省を深くした次第である。