Single40'S diary

「40過ぎて独身で」と言ってる間にはや還暦のブログ

蝶のいた庭

「蝶のいた庭」ドット・ハッチソン。

ミステリというかホラーというか、あるいは一種の耽美小説か。独自性という意味ではすごい作品。

主人公のマヤはたぶん18歳になる少女。ある事件の取り調べで、警察の取調室にして、二人の刑事に事情を聞かれている。
最初は、読者はどんな事件か、何も知らされない。
マヤの供述によって、だんだんと事件を知ることになる。

マヤというのは、彼女が「庭師」によって与えられた名である。
ほんとうの彼女の親はネグレクト親の典型であり、結婚していながらそれぞれが浮気に夢中なのであった。もちろん、相手は頻繁に変わるのである。
この親は当然ながら離婚の危機になり、家族でやり直すために遊園地に行き、その遊園地でそれぞれ相手を現地で見つけて、娘をメリーゴーランドに乗せたまま行方をくらました。
呆れた娘は16歳になった途端に家を出て、ニューヨークに行き、そこで新しい身分を買って、レストランで働きはじめる。
そのレストランで働く娘達は共同でアパートをシェアしており、8人が住んでいた。空き部屋が出たので、彼女も入居でき、宿無し状態を早々に抜けられた。
ルームメイトたちは毛色の変わった人間ばかりであったが、彼女を暖かく迎える。
ある日、彼女は、レストラン貸し切りの妙なパーティの給仕に出る。
蝶のような羽をつけた衣装を着るという趣向だった。
そして、そのパーティが終わったとき、彼女はパーティ主催者の男に声をかけられ、気を失い、気づいたときには「ガーデン」にいた。
「ガーデン」はその男「庭師」がつくった二重構造の広大な温室である。
外側と内側は壁によって仕切られており、その仕切を明けるには庭師しか知らない暗証番号を打ちこむしかない。
ガーデンの内側には広大な植物園と高い天井に大きなガラス、滝まである。
そして、そこには二十人もの少女が閉じ込められているのだった。
それぞれの少女の部屋は壁で仕切られており、庭師が壁を降ろさない限り、自由に出入りできる。
各部屋にはトイレとシャワーがあり、ガーデン内に共同の食堂もあって看護師兼調理師の女が一人、食事の世話をする。
少女たちはさらわれてくると、まず、背中に大きな蝶の入れ墨を入れられる。
蝶の入れ墨は、全員それぞれ異なる種類が選ばれる。
その後、庭師にレイプされるのだ。つまり、このガーデンは庭師の後宮なのである。囚われた彼女たちは「蝶」と呼ばれる。
彼女たちは脱出不可能なこのガーデンに順応するほかなく、順応できない者は殺されてしまう。
そして21歳になると、彼女たちは殺されてガラスの中に樹脂で固めて保存される。
そんなガラスが、ガーデン内にはあちこちに展示されている。まるで人間の昆虫採集である。
庭師は、16歳以下の娘をさらってこず、21歳に達すると「もっとも美しい時期」だという理由で殺されるので、最長5年しかガーデン内では生存できない。
毎日カウントダウンされる異常な状況の中で、蝶たちは心を押し隠して行きてゆかねばならないのである。
そんな中で、マヤはいつしか、その強い性格と美貌で蝶たちのリーダーになっていく。庭師も、マヤには一目置いているようだ。
やがて、庭師の長男、エイヴリーがガーデンに立ち入るようになる。
この男は、サディストで性欲しか頭にない。蝶をいたぶるのが趣味である。
ついにある日、エイヴリーに殺される蝶が出てしまい、庭師は怒って彼を出入り禁止にするのだが、それも1週間程度のことだった。
さらに、今度は次男のデズモンドが出入りするようになる。
デズモンドはエイヴリーとは対象的な芸術肌の男で、蝶とも会話を楽しむ程度しかしない。
デズモンドは、いつしかマヤに恋をするようになる。
マヤは、この状態を警察に通報するようにデズモンドに言うのだが、デズモンドは勇気がないという。
ところが、ある日、いたいけな少女をエイヴリーが連れてきて、新しい獲物だという。
デズモンドはもちろん、庭師さえも怒って、エイヴリーを打ちのめす。あまりに幼く、庭師のポリシーに反するのである。
ところが、エイヴリーは反発し、ピストルを取り出す。
大きな事件が起こり、ついに、ガーデンは崩壊して。。。


最初は「何だ、これは?」と思いながらマヤの生い立ちなどを読んでいくのだが、彼女がガーデンに連れて来られるあたりから、物語が一気に動き始める。
人倫としては最悪だが、しかし美しいガーデンの描写を通じて、庭師がある意味では「美に忠実」な人物であることも描かれる。
一線を超えた人間の有様がすごい。
そこからエンディングに向けて、最初のマヤの生い立ちが伏線として生きてくる仕掛けになっている。
主人公マヤの強さ、頭の良さには感嘆。
評価は☆☆。
異常なシチュエーションと、主人公の魅力度で天下一。

さて、男性には後宮願望というものがあるであろうか?
若い頃は、ハーレムというものに憧れをもったことがありましたが(チンギス・ハーンなんかすごいですぞ)しかし、女性と付きあうと考え方が変わるように思う。
だって、あんな面倒くさいもの、一人でも手に余るではないか。
まして、それがたくさん、、、おー、こわ。
というわけで、今やそんなものは雲散霧消。
本作の庭師さんについても、まあタフなもんだねえ、と思う。
かの秀吉や家康にしたって、その気になれば何とでもなったと思うのだが、何とかの局、なんてせいぜい数名レベルである。
本作のように二十人並べてみました、なんてない。
まあ、童貞の夢想というのが、おおかたの落ち着きどころかと思う。
現実世界でもまれに二股、三股をかけて平気という人がいるようですが、ひたすら「へへー」と唸るばかり、ですなあ。